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ガスパ雑感

   ↑  2009/08/29 (土)  カテゴリー: 未分類
Sugar+Spice! ~あのこのステキな何もかも~(通常版)Sugar+Spice! ~あのこのステキな何もかも~(通常版)
(2008/09/25)
PlayStation2

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とても丁寧に作られた傑作。「あのこのステキな何もかも」という怪しいサブタイトル(あのこのステキな何もかも(笑)とか言いたくなるくらい)が付いてますが、プレイすれば、まあそれも分かりますというか、納得できますというか、何とか落ち着きます。

■1――― What are little girls made of? Sugar+Spice and everything nice,That's what little girls made of.

女の子って何でできてるの?
サトウにスパイス、そしてすてきな何もかも。
そんなもんで できてるよ。

言ったもの勝ちである(ぇ

魔法の箱の中には何もかもが入りうる、だからこそ魔法の箱なのだ。
ここで語られている「女の子」というのは、実体ある存在として「女の子」ではなく、もちろんジェンダー的な意味でも生物学的な意味でもなくて、『イメージとしての』(さらに言うと『このゲームにおける(イメージとしての)』)女の子。
ステキな何もかも」というのは、当然、中身のない言葉―――だから何でも当て嵌まる。そして何もかもが当て嵌まりうる。ステキな『何もかも』なのだから、ステキなモノは”ひとつたりとも逃してはならない”。
この問いかけに対する答えは用意されていません。敢えて言えば、「貴方が決めろ」ということが用意されている。その為のこの構造・構成と言えるでしょう(というか逆、この構造・構成だからそうなったとも言える)。
エピソードを選んで・探して・決めて・見ていく、記憶がなく(物語がなく)この期間内のエピソードが彼らの全てである。
つまり「知るということ」「分かるというとこ」。
オトメカイセキ、エピソード記憶、記憶喪失、ITEMで表される各エピソード、それら全てにかかっている。もう見事としかいいようがないですね。本作の最も優れたところは、そのあまりの見事さ・丁寧さです。

Sugar and spice And everything nice,
ここには、何でも入る。

作品の最初に投げかけられる問であるということが、これをさらに加速させています。”冒頭にそれを出す”ことにより”それを規定した”ということ。冒頭の問いかけは圧倒的な投錨となる。マニュアルなんかで「テーマ」と謳っているのもまた同じく。「この作品は(この作品においては)こうである」という投錨の強度がここにあります。つまり、最初に問いかける、わざわざテーマと明言することによって、作中でそれが描かれていることが保証される―――それが一般的な答えでないとしても、全プレイヤー同じものを導き出せるほどはっきりしたものでないとしても。このゲーム内に、その答えがあるということが保証される。
そして本作の場合は、決して、はっきりと「語られることはない」。つまり何が「すてきなもの」なのかは、明言されていない、よく分からない―――人によって様々になるということです。しかもこれは、一本道のノベルゲームではなく、場所・エピソードを選ぶシステム――かつてのelf『同級生』シリーズをノベルゲーム風にアレンジしつつ少し『ときめも(というか『みつめてナイト』)』を足して、それでいて(特にファーストプレイなどでは)仮想的に『ガンパレ系』っぽい流動性を取り入れている(あくまで仮想的・体感においてそうであるというだけ)――、これによりさらに増長します。
つまり、中身が、プレイヤー一人一人、少し異なる(とはいえ話自体は・終着点は同じなので、異なるのはもっと細かいところ、その過程を分化していったところ)。
それはダイレクトに『何もかも』の部分にかかるといえるでしょう。

―――人それぞれだが、まったく「人それぞれ」なワケではない。最初にある問いかけをした上で、最初にこのゲームはこういうテーマだと明言した上で、ゲームをプレイしてもらって、その問に答えてもらう。この時に出てくる答えは。見えてくるものは。まさに、「貴方が」「このゲームをプレイして」見えてきたものでしょう。
「女の子って何でできてるの?」の答えは。
貴方がこのゲームをプレイして出せた答え―――つまり、貴方が彼女(たち)に見た答えである、イコール「貴方が見る彼女(たち)」であり、それはまた「貴方自身」を表してもいる。「相手のことを知ると自分のこともわかる」――作中で和馬くんが(失われた記憶関係で)述べていたことですね。全ては原理的には鏡像にもなりうる。ここでいう鏡像というのは、「イコール私」ではなく、「私と違う部分がある誰か=その差異が私を逆説的に映し出す」という『鏡像』です。
余談ですが、本作におけるサブキャラなどはかなり『鏡像』といえるでしょう。たとえば海編に出てくるキャラなんかは(特に空・和馬の二者が分かりやすいでしょう)、話にたいして絡まないし必要ないと思ってしまうかもしれませんが、和馬やヒロインたちが「どういう人間か」ということを、結ノ宮を離れた場所で(つまりある程度の客観性を持って)見るという点では、非常に重要です。これは本気で擁護しなければなりませんが、単純に物語を廻す人間だけで物語は駆動するワケではない。彼らのような『鏡像』がいることにより、読み手にとっての『彼らの』象徴的位置と、『自分と彼ら(彼らにとっての自分)』の象徴的位置が定まってくる。これは、佐藤や黒越ですらそうでもあります。

そしてこの問いかけも、また、そうでもある。答えのない答え、イメージに対する答え―――それらは、「貴方自身」を、そして「このゲーム」を、つまり「このゲームをプレイした貴方自身を(貴方がプレイしたこのゲームを)」強く映し出す。最初に設定された問いかけが、強烈な投錨を放ち、このゲームをプレイヤーに穿っている。

What are little boys made of?
What are little boys made of?
Frogs and snails And puppy-dogs' tails,
That's what little boys are made of.
What are little girls made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice And everything nice,
That's what little girls are made of.




■2 ―――What are little boy…………っえ、うそ、ガール?

ss_01.jpg
別に俺は本当に男の子でもかまわないんだぜ……?

少女は「女なら」何にでもなれる(ドゥルーズ調べ)が、ショタは「本当に」何にでもなれるものなんだよ。ファリックなめんな。だからアレだよ、たとえば俺が思う最高のエロシーンは『花と乙女に祝福を』の晶子×祈の2回目のやつであってね……(以下公序良俗に反するっていうか自分でもどんとひくので省略)。

まあなんというかですね、司が「女の子」だと確実に明らかにされた時のガッカリ感ときたら、あの長い髪が露になった時の落胆と来たら、今年一番のモノだったよ……


(※他に書きたいこと、個別シナリオの感想とか、シュガスパの細かすぎて伝わりすぎる丁寧さ選手権大会とかなんかそんなの、次回に続く)

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2009/08/29 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |
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