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2009/09/06 (日) カテゴリー: 未分類
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「人は一人でも生きられる」けれども、「一人では幸せになれない」。
一言でいえば、そう。もちろん、誰しもがそうではない。一人でも幸せになれる者もいるし、一人では生きていけない者もいる。しかし、彼は―――
というお話。
「逸脱」とかけまして、「自分の役割」でときますと、まずは、その役割と関係ないことしている・その役割をあまりにも満たしていない、といったふうに考えられるでしょうが、もうひとつあります。その役割を徹底しすぎること――つまり、役割をやりすぎてしまうこと。これもまた、「逸脱」といえます。
己の役割をやりすぎる・役割をまっとうしすぎるという「逸脱」。たとえばアレですよ、もろにざっくばらんな言い方ですが、社員だったら「会社の為に働く」みたいな役割がありますね。己の能力をもって出来る限り貢献するとか、不正は決して認めず正す、とか。そういった役割が、少なくとも名目上としてはある。勿論、全くこなさないというのなら問題でしょうけど、これをこなさなければ失格というワケではありません。だから普通の人は、大抵、身の丈にあった程度でこなしますよね。割に合わないくらいに身を粉にして働くことはしないし、糾弾したら逆にヤバそうな程にデカイ不正なんかは、見つけても見なかったフリをしてしまいかねません。
しかし、理くんは、その役割を通す。まっとうする。「逸脱」するほどに。
「鎌田が君を切った訳が今更ながらわかった気がする……君は、毒か薬にしかならん男だ」
【第六話】
この台詞などまさに象徴的でしょう。
役割を徹底的にこなしすぎてしまうと、却って不調和が生まれる。たとえば裁判官が、情も涙もなく法の行使として徹底的に機能していたら、たとえば得点を取るという役割をまっとうしすぎるFWだったら、たとえば自転車撤去の人が役割をまっとうしすぎて路上の自転車を全て撤去してしまったら。それらは使えないワケでも優秀じゃないワケでもない、「薬」になりうる、けれども、逸脱するほど”極端”だから、「毒」にもなりうる。かつて社会主義国家のソ連において最も粛清対象だったのは、最も(極端な)社会主義者だった、という話と同じです。やりすぎるものは利ももたらすけれども、その機構の破壊か、その構造の硬直ももたらしうる。
かくいう主人公こと理くんも、たとえば社員になったら「社員」という役割をまっとうしすぎるように、役割をまっとうしすぎて「逸脱」しかねないタイプです。「勉強教える時だけ人格が変わる」といわれるほど家庭教師の役割をまっとうすることや、「会社での姫様への指導」時の人格変わるほどの徹底さ、などもそれに挙げられるでしょう。それらは美都子に対する関係などにも現われています――美都子シナリオ後半の彼の逡巡・態度などは、まさにそう、役割と自己を結び付けてしまうほどに役割を徹底しているということころに挙げられるでしょう(それがまた、彼らの関係の構造の硬直を生んでいる)。
役割をまっとうしすぎるという逸脱者は、そうであるからこそ、一人では幸せになれない。これまで会社でハズレくじ・損な役回りを引き受けてきたことなどが、その一つの例でしょう。やりすぎてしまう彼を、支えてくれる環境が必要である。
そして。
というか、その前に。
「役割をまっとうする」存在であるなら、当たり前なのですが。
役割がないと、幸せになれない。
役割さえあれば、それをまっとうする。そりゃもう、テコでも動かないくらいに。それを守るために、無限の気力が湧いてくる。たとえば「守ってやる」対象がいたりすると、すごく輝く。そういう対象がいると、幸せになる。その対象のために、どこまでも尽くして、どこまでも頑張って、どこまでも――幸せになれるのだから。
麻美「だ、だけど仕方なかったのよ!
理には、命をかけて愛情をそそぐ対象が必要なのよ。」
【麻美最終話】
逸脱者には、役割・責務・目指す所が必要なのです。役割をまっとうする者には、そもそもの役割がなければ、何も始まらないワケで。
だから、それが無かった時(ゲーム開始時点くらい)は、優秀な彼でも、あんなに長い間失職状態だったワケですしね。そういう人間は、一人では幸せになれない。他人がいなければ幸せになれない――逸脱して、そのまま何処かへ消え去ってしまうような――人間は、確かに居る。
理「だって、また頑張れる。
美都子ちゃんの学費を稼ぐって理由が、僕に力を与えてくれるから」
美都子「じゃ、あたしも頑張る。頑張って、理くんの重荷になる」
美都子「理くんが、明日もまた頑張れるように、理くんが、あたしのために頑張れるように、ね」
理「ありがとう……
僕は、君が頼ってくれれば、もう決して壊れないから」
一人でも生きていけるかもしれないけれど、幸せには届かない。
一人では、役割が、目的が、なければ、幸せには届かない――どころか、壊れてしまいかねない。
そういう彼の物語。だからこそ、ここには、タイトルにあるように「恋」が必要であった。
(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-21.html
2009/09/06 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |