……なんすけど、あんま語ることないっすねえ。全部がシナリオ内でテキストとして語られてます系。
そういえばこのゲーム、F3でキャプチャできるのがとっても便利なんですけど、なんか気付いたらハゲのロリコン語りばっかキャプチャしてます。クソっ、ハゲめ、輝きすぎなんだコノヤロウ……!
以下ネタバレ。
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目の前に立ちはだかるのが、問題だろうが敵だろうが壁だろうが、自分の正しいと信じることを貫き通す。という「義」。そして「サムライ」。
大和「普段は柔軟だよ~軟体動物ばりだね。ためらいなく相手にヘコへコできるぜ」
大和「…でも。これと決めた事には絶対退かねぇ!!」
大和「俺は俺の正しいと思った事を貫くまで」
クリス「己の信じる道を行く事こそが義」
クリス「父様への想いと同様、大和への愛も貫きます」
――
クリス父「己の主張が正しいのにそれが通らないとしたら?」
クリス父「まさに理不尽だろう、正論が通らないのだからな」
クリス父「君こそサムライだ、直江大和!」
クリス父「国境の壁を乗り越えた」
クリス父「クリスを心から愛し、そのために学校まで辞めた」
クリス父「貧しいながらも、心は豊かに暮らしていた」
クリス父「奪われたら、はるばるドイツまで乗り込んできた」
クリス父「そして軍隊という圧倒的暴力に負けず突撃をしかけ、そしてここに辿り着いた……」
この三つの引用文で大まかなことは語ることができると思う……。
クリスを見てみるといい。私が思う「義」、私の「正義」、それを圧倒的に信じている。信じているというか、疑念や戸惑いを挟む余地すらないそれは、”当然のもの”になっているといえるでしょう。神はいるか、江戸時代は本当にあったのか、という問いなら、信じてる信じてないで語る余地もあるけれど、太陽はあるか、1+1は2か、という問いなら、信じる信じない以前、それは当然にある前提となっている。当初のクリスの疑いの無さは、そういったレベル。
その根拠は規律にある。これは軍人の家庭・家系に生まれたからそうであると言えるかもしれません。クリスはルール・慣習(つまり規律)に非常にこだわりますが、その理由には全くこだわりません。なぜそういうルールがあるのか、なぜその慣習はそういう形なのか、その正当性は何なのか、全くこだわらず、それがルール・慣習という時点で、盲目的に信じる――を通り越して、”当然のもの”になっている。だから大和がからかう嘘ルール・嘘慣習に、全く疑うことなくコロっと騙されるワケです。普通だったら、大和の嘘ルールは非効率的すぎるだろ、その嘘慣習は違和感があるだろ、くらい思えてもおかしくはないけれど(たとえばボクらがドイツ行って、現地の人に超突飛なルール・慣習を教えられたら、ちょっとは疑ってしまうでしょう)。ルール・慣習の根拠を問わずそれが正しいと前提にあるクリスにとっては、そこに何の疑問も生まれない。その正しさを疑わない。ルールや慣習はルールや慣習である時点で正しい。
それゆえ、メチャクチャに一直線だったりするし、シナリオ中盤では、己自身の気持ちと、己自身のルールに、挟まれることになる。
クリス「自分は父様のために生きると決めていたからだ」
クリス「父様が決めたから、そう動く」
あの、一端は別れそうになった8月末のとき。これに大和は「筋が通ってない」「義を言い訳にしている」と述べたけど、確かにこの、本心からそうではなく命に従うという”だけの”姿勢は、義理は通っているし忠も尽くしているけれど、彼女自身を通していない。そこに如何なる義があるのだろうか。これではただ、ルールを「ルールだから」、慣習を「慣習だから」という”だけの”理由で従ってしまうのと同じ。それは、ただあるもの、当然なものに”従っているだけ”で、己の信じるものに従うという「義」の姿勢と遠くかけ離れている。
これで大和のことを好きでも何でもないのなら、それが正しいけれど。一緒に居たいわけでもないのなら、それが正しいけれども。そうではなく、そして”根拠もなく”従うだけならば、そこに信じる道を行く「義」は無いのでしょう。
だから、この後、父に反発する際の台詞はこうなるのですね。
クリス「己の信じる道を行く事こそが義」
クリス「父様への想いと同様、大和への愛も貫きます」
私はどちらも選ぶ。どちらも選ぶのが、私の道だと―――。
もちろん、それは必ず貫き通せるものではない。クリス父が「理不尽」といっていたように、生きていくには、生活していくのは、その「義」の思いだけでどうこうできないような数多の障害があって、たとえそれを乗り越えられても、クリス父が自らクリスを攫うように、さらなる障害――理不尽がありえる。その、一人では到底敵わない理不尽の暴力が、義を、道を遮ることもある。
大和「俺1人じゃ無理だった」
クリス父「皆から協力してもらえる事も、力だ」
けれど、そいつだって乗り越えられうる。
クリス一人じゃ無理でも、大和がいれば。大和一人じゃ無理でも、皆がいれば。
そもそも。
そもそも振り返れば、クリスがこういう道を、自分の「義」をそういうものだと選べたことからして、そうなのです。 クリス「己の信じる道を行く事こそが義」 クリス「父様への想いと同様、大和への愛も貫きます」 こんな台詞、日本に来たばかりの、ルール・慣習絶対、父様絶対、「故に迷う所なし」のクリスには、どう間違っても出てこなかった。それがまず、皆と生活することで変わっていった。自分の価値観を疑わず「ビルを取り壊す」ことを提言してしまうようなクリスも、少しづつ変化していった。学校での他人への注意なども、そう。皆と生活することで、皆それぞれの「義」があって、自分の「義」は自分のものとしての一つの真実であるということを学んでいった。もちろん、大和という、そのような台詞を向けられる対象――そのような「義」を向けられる対象が出来たことも、大きい。クリスが語った「己の信じる道」というのは、そういうものがあってはじめて、この形で出来上がったということです。もしそうじゃなければ、普通に、今までどおりに、父に従うことが、己の信じる道になっていたでしょう。
つまり。皆がいたから、この最後のドイツで、クリスは助けられたワケですけど。そもそも、皆にはこれまでもずっと助けられてきたし、そもそも、皆がいたから、今ここにいるということです。
今ここにいる、このクリス。それはそもそも、クリス一人では成しえなかったところで、クリスと大和だけでも到達できなかったところで、それに皆がプラスされて、はじめて、このクリスができた。だからこそ、皆がいるというのは当たり前でもあるんですね。
あと、この4人までクリアした印象だと、クリスシナリオ途中にあった京極部長の言葉が引っかかります。
京極部長「…子供の頃より親から植え付けられた教えも1つの言霊と言えるだろう。君達を縛っている呪いの一種だよ、善し悪しあるがね」
京極部長「親の教えも大切だが。それに囚われすぎるのはまさに呪いだ。どうか柔軟に。では僕の話はここで終わる」
ここまで見てきた限りでは、大なり小なり、直接的か、あるいは潜在的や潜勢的か、もしくは何らかの「穴」としてか、全部に「親」が絡んでいる。クリスはそのまんま、教えとしての呪縛。ワン子は欠如したルーツ。まゆっちは、っこの性格で友達いない今の彼女を作り出した境遇としての親。京はもう色々ありすぎ。過去の色んな出来事から現在まで続く色んな出来事、「大嫌いな」浮気性な母と、「別に嫌いでも好きでもない」なんだかんだいって一途な父(どちらにしろ、子供の頃の京を愛してはくれなかったが)、そして迷うことなく異常なほど一途な今の京。
あと、キャップシナリオとモロシナリオもクリアしたけど、彼らにも、影響元としての親が、大なり小なり……というかそれなりに大なり、存在(不在という名の存在)している。
……あと大和くんも。断片的にしか、今は語られていないけど。
その辺が結構気になりますねー。武士、真剣、川神魂。愚直なまでに貫き通すことにより、全てを乗り越えているこのゲーム……つかさ、毎回エピローグに、その愚直を貫いた登場人物たちの「その後」を示したりとか、ぶっちゃけ、正直とか真っ直ぐを通り越して露悪的なくらいすげーと思うんですけど(だから個人的には、これは「やると元気が出るエロゲ」なんですけど)、もちろんどのシナリオでも風間ファミリーは永久に不滅なところも合わせて。その辺の真っ直ぐさ――真剣さが、本作品の武器であり、正中である、そんな風に思うのですが……えっとまあ、この辺の話は、全部クリアしてからということで。おしまい。
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2009/09/13 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |