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ねこねこソフト「そらいろ」 レビュー

   ↑  2009/09/25 (金)  カテゴリー: 未分類
結構面白かったです。
このゲームにおける「とある試み」は、ゲームプレイの「面白さ」をある程度殺すことになるのですが、代わりに、ゲーム自体の「完成度」は、劇的に上がっている。ボクとしてはソレを肯定したいですね。それがなければもっと「面白く」感じられただろうけど、それがあるお陰で、唯一無二の完成度を手に入れている――楽しみを阻害されても、その分完成度が上がるなら、個人的には肯定したい。というより、むしろ、そこを肯定することで、そのゲームの意味や理解の最初の一歩を、ようやく踏み出せるものではないかと、思っている。
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(2009/09/18)
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以下ネタバレです。一部は先日までにあげたメモより流用。




それぞれのメインシナリオ(花子ルート花子シナリオ、愛衣ルート愛衣シナリオ、つばめルートつばめシナリオ)についてをまず書きたいと思います。



花子メインシナリオ



「十年前から好きなんだ」といった場合、その十年前に、何らかの「好きになった原因」を見て取ることは可能でしょう。スポーツの助っ人として活躍する姿、まるでヒーロー……スーパーマンのようなその姿に憧れを見い出し、その頼れる誇らしい姿に、やがて恋心を抱く。
共有としての練習、楽しいから続く十年の時、応援と助っ人の転覆。その先に、そこを目指した――目指してしまった。

だけど、やっぱり見たかった。
先輩が救世主のように扱われ、みんなに頼りにされてる姿を見たかった。
そしてそんな先輩を誇らしく見ていたかった。
きっとこの頃には憧れではなく、純粋に恋心を抱いていたんだと思う。
だから。
私は依頼を断る先輩を見ながら、いつか…という考えを募らせた。
それはいつしか使命感に
『わたしが前の先輩に戻すんだ』という考えに変わる。


かつて自分が”最初に惹かれた”、原風景の姿を取り戻そうと。
花子は、自分が「どういう気持ちで」助っ人をしていたのか分かるかと健士に問いますが、その気持ちというのは、そこ。それはかつての彼を取り戻そうという試み――
その考えから、わたしはまず先輩に近づく事にした。まずは同じフィールドに立とうとした。
そうして頑張れば、一生懸命に練習すれば、いつか先輩も元に戻ると考えていた。
子供の自分にはそれしかなかった。
憧れから恋心へ。
それは至って普通の経緯。

”かつて”の――私が一番最初に好きなるきっかけとなった、かつての健士くんの姿に、またなって欲しい。それが「どういう気持ち」の、まずの答えでした。つまり”かつて”という幻想を追いかけて、それ故に、シナリオ後半のような激しい助っ人活動があった。

「十年前から好きなんだ」の理由・原因を探れば、一番最初に行き着くところは、そこになるでしょう。
その格好良い姿に憧れた。全ては、そこからはじまった。だから花子は、取り戻したいと思った。
けどですね、それはそんなに重要ではないんですよ。実際は、そんなものは「十年前から好き」の理由でも原因でもない。ただ始点としてのきっかけでしかない。結果から原因を導き出した時にそうだったというだけであり、それが全てではない。

遡及的過去形成。エロゲにおける遡及的過去形成というのは、心的現実的に過去を構築する場合と、量子力学的に過去を構築する(未観測部分が「未確定・麻痺」状態にあることを逆手にとる・翻って言えば、観測者足りえるのはプレイヤーだけで、他のキャラも社会も物質も”見えてない部分では”観測が未確定であるといえますね。シナリオ上で必要とされない限りは、誰も観測者足り得ない。デコヒーレンスが無い。もちろん、ゲームによって異なる、たとえば「ガンパレード・マーチ」系みたいなタイトルは除外される可能性が高そうですけど)場合と、時間軸・次元軸を歪める・超越するファンタジー的なものの場合、そして、現在に過去を求めるという場合、恐らくその4つがあるんじゃないかと考えられます。
ここで問題となるのは、その最後の例です。
過去に現在の原因を求めた際に見つかる原因・理由という遡及的過去形成。現在ほにゃららだけど、それは実は過去のある時点から既にはじまっていたのだー! という発見がそれです。ちなみにそれが本当かどうか――因果関係的なものが確固としてあるのかどうか――は別の話。むしろ「因果関係を仮構する」作業こそがそれと申し上げられるでしょう。
アンリ・ベルクソン引っ張ってきます。「過去の中に可能的なるものを宿らせることができる、というよりはむしろ可能的なるものはあらゆる瞬間に自らすすんで過去の中に入り込む、ということは疑いを容れません」。過去に現在に至る可能性があったのではなく、現在がこれだからそこから過去にその原因=可能性を”発見できた”。それは(現在がそうであることは)ただの偶然であって必然ではない、それは「錯覚」だ。……ベルクソンだともっとダイレクトな(それこそまんま「遡及的過去形成」という単語を使っている)言葉があったんだけど、どこで見たのかちょっと思い出せない。思い出したら補遺したい。ともかく。現在から過去を見て現在の原因・理由を探るというのは、「本当のそれ」ではなく、「それ」を無理矢理過去に見い出した結果――遡及的に構成されたそれである、というところである可能性は否定できない。軽く心的現実とも被りますね。ここにおいて問題となるのは、そこです。

原因・理由というのは、きっかけや始点としてはありえても、それが全てがありえないということです。花子は”かつて”の健士をきっかけに・始点に好きになったのだけれど、決してそれが全てじゃない。そのことは、”かつて”の健士と違ってしまった<今の健士も変わらず、何年もの間好きでい続けているということが何よりも証明しています。
だからラスト直前、彼らの仲直りはこう語られる。

元々、俺達の間にそんなものは無かった筈で…
ちょっとした行き違いだったからとか、わだかまりなんて言葉だって…
ホントは俺達の間には無かったんだ。


十年もの間思い続けるということも、十年もの間楽しくあり続けるということも、そんなに軽いものではない。少なくとも、”かつて”が好きになるきっかけだったから、「それが全て」「それに戻ってもらわなくてはならない」なんて云えるほど、この”かつて”と異なる数年間は軽くはない。花子が追った幻想は、”ただそう思った”以上でも以下でもない――そんな重くない、それがいいなくらいの、それだけの話で、そしてそれは逆に、ここまでの十年の、思い続けたこと、楽しい時間の積み重ねが、それよりも遥かに重いものであるということを証明している、そんな話。


愛衣メインシナリオ



ゼロ地点をめぐるお話。つばめ過去編で「ボタンの掛け間違え」の喩えがありましたが、それに近いようなものがあります。「知らない人」から「友達」、そして「(恋心を抱いた)幼なじみ」になる前に「兄妹」になってしまった。その二人が今、「恋人」という関係を”はじめる”には、そこまでに築いてきたものを一度ご破算にしなくてはならない。ゆえのゼロ地点。本当に最初からやり直せるわけでも、過去にタイムスリップできるわけでもないけれど、築き上げた関係という檻を”心の中では”、壊して最初からやり直すことができる。つまりこれは、ゼロ地点をめぐる――そこに至ろうとするお話。

……ぶっちゃけ上だけで全てを言ったも同然なんですが。そこに至る仕組みとして「ブイ・無人島」と「ウソ記憶喪失(残余の封じ込め)」という二つがありまして、これが非常に輝いてましたね。

子供の頃の愛衣は、このブイに何を求めたのだろう。
今思えば、俺が言い出した『秘密の入り口』ってのも、愛衣は真に受けたわけじゃないと思う。
それはあくまで口実で、『秘密の入り口』っていうのは、名前のない何かを指す暗号のようなもので…
当時の愛衣が、そして今の愛衣が、ここに求めたものは――



まず「ブイ」というもの。これは大海原になぜかポツンと存在する、異質なものです。本来何もない海の中にある筈のない人工物にして、遠目からではそれが一体何なのか分からない奇妙なもの。本来ある筈もない上に、しかも謎のものですね。いわば「染み」(ホルバイン「大使たち」における「染み」の例と同じく)のようなもの。海の中にポツンとある、なんだか分からないもの、海からして見れば異質なものが、愛衣は「気になる」と言い出すのです。しかもそこには「秘密の入り口」があるのではないか――ここではない、どこか別の場所に繋がっているような、別世界に繋がっているような。
これを、(子供の頃の)愛衣の健士への恋心の隠喩と読むことは可能でしょう。だからブイを目指し、十年後は無人島に辿り着いた。つか、そうとしか思えない。この頃から既に、僅か以上の恋心(自覚のあるなし関わらず)を彼女が抱いていたことは、語られています。それは『兄妹』という関係からは、本来ありえないもので、そして届かないものである。『兄妹』という関係性の海にポツンと存在する「異質なもの」としての恋心。それは海の中にポツンと存在する異質なものとしてのブイに似ていて、そしてその恋心に届いてしまったら、『兄妹』の関係から違うところに連れて行ってくれるかもしれない。謂わばこの関係から違うところに繋がる、「秘密の入り口」。
愛衣は 本当は何でもよかった。別にブイじゃなくても良かったんだよ。お兄ちゃんと一緒にいられれば、私はそれで… と語りますが、そのように何でも良かったのに、山に登るでも海岸を駆けるでもなく、わざわざブイを目指したこと、ブイに幻とはいえ秘密の入り口を幻視したこと、それらの理由は、上記のようなところに挙げられるでしょう。見る者を反映する「染み」のように、その寄る辺ないブイに、自身の恋心を馳せた。

ただし「ブイ」では足りなかった。届かなかった。自分で設定した自分のゼロ地点は、本当にゼロ地点になることはない――そこからもう一歩踏み込んで、つまり「過剰」「余剰」に至ってはじめて、象徴的秩序のやり直し=ゼロ地点に至れる。「ブイ」を隠喩とする観点からみれば、「人工物」で「島ではない=確固足らない・一時的・地に根を張っていない」という寄る辺無さがそこにあるでしょう。せいぜい途中まででしかない。だからこそ、「無人島」を目指したし、そして無人島であったからこそ、彼女の「けじめ」が達成できた。

ゼロ地点、そこに至るにもう一つ。「ウソの記憶喪失」が絡む。

愛衣「これ以上、お兄ちゃんを好きになったらダメなんだって」
愛衣「私はもう、つばめちゃんみたいな幼なじみにはなれないんだって…」
愛衣「兄妹なんだから、そんなのダメだってわかってたけど……好きになる気持ちは、もう止められなかった」
愛衣「それで私、熱を出して寝込んだ時に思ったの。このままじゃお兄ちゃんと一緒に居るのが辛くなるって」
愛衣「そんなのは嫌だから…だから私、全部忘れたことにしようと思ったの」
愛衣「お兄ちゃんを好きな気持ちも、
お兄ちゃんと気まずくなったことも、
お兄ちゃんと本当の兄妹じゃないってことも」
愛衣「全部忘れたことにすれば、幼なじみにはなれなくても、また仲の良い兄妹に戻れるって――」


「恋心」が叶えられない――『兄妹』という点から、むしろ「かなえてはいけない」もので、けれどそれをどうしようもないほどに抱いていて、その所為でつばめや花子に嫉妬したり、兄と気まずくなったり、みんなと一緒に居るのが辛くなったりする。それを克服する方法は二つ。恋心を叶えるか、恋心自体を失くしてしまうか。そこにおいて愛衣は、『兄妹』であるから、そこに届かないからと、前者を選択した。

つまり『兄妹』になったわけですね。いや、『兄妹』であると擬装した、と言うべきでしょうか。未だ健士のことを好きだったワケですから。これによって、戸籍的に、制度的に既に『兄妹』であったけれど、心の面においても、完璧に『兄妹』に”なりすました”。
仲良くしても、甘えても、ベタベタしたって、嫉妬したって、兄妹ならば、恋心に届かない。
だから逆に、作中でも語られてましたが、ここにおいては嫉妬とかの感情を表に出せるようになっている。子供の頃は用事があるといって逃げたり、無言で流したりしか出来なかったけれど、十年後のそこでは、自由に嫉妬も感情も振りまいていられる。それは『兄妹』という前提を擬装したからですね。どんなに――まるで”恋愛的に・恋愛感情みたいに”振舞っても、『兄妹』ならば、恋心には届かない。どうやったってブイには辿り着かない――あるいは、ブイ=一時の場までは辿り着けても、無人島=永住の場までは辿り着けない――からこそ、まるで自由なように振舞えている(そしてだからこそ、無人島に辿り着くことが「けじめ」となる)。

さて、その『兄妹』というのは、生まれつきのそれではなく、”そうあろうとした末でのそれ”でしかありませんでした。愛衣は、記憶を失くしたフリをして、妹であろうとした。健士は、愛衣のために、兄であろうとした。しかしそれはあくまで、恋心には辿り着けない=無人島には辿り着けないという制度であって、実際に恋心が消失するわけでも無人島が消えてなくなるわけでもなかった。「そこには行けないようにする決まり」なだけであって、実際にそこ(恋心)が消えてなくなった――もう二度と芽生えなくなった――ワケではなかったのです。
その、どうしても残る残余としての「恋心」の自覚と成長が、前提としてある「制度」と結び合い、『両想い』だけど『兄妹』でありつつ『恋人』ではないような、新しいその関係を作っていった。シナリオ後半部の、恋心に気付いたけど、今更兄妹であることをやめられずキスもできない状況、なんかがそれですね。

だから「けじめ」としてのゼロ地点が必要だった――そしてそこに至った。

一言、『ごめん』と言えばよかった。
それから『一緒に遊ぼう』と手を差し伸べればよかった。
そうすればあのひと夏を無駄にすることも、愛衣を寂しがらせることもなかった。
そして、あの最初の夏を無駄にしなければ…
俺達は兄妹になる前に、幼なじみに…
あるいはそれ以上の関係に、なっていたかもしれないのに。
でも結局そうなる前に、俺達は兄妹になってしまった。
そこから両想いとなるまで、十年近くの遠回りをしてしまった――


最後のところ、なぜ「ごめん」と謝って、「遊んだ」のか。そんな必要があったのか。それは「最初から」――あるいは「最初を」やり直すということ。つまり、『兄妹』になる前に、『幼なじみ』になっておく(さらにそれ以上に)。それをここで為しえよう、それをここで為しえた、というか、ここでしか出来なかった。子供の頃に封印した恋心を象徴する地、違う関係への秘密の入り口が幻視された土地。これは儀式だったわけです。
だから最後の最後の愛衣の健士に対する呼び名は「お兄ちゃん」のままで良かった。お兄ちゃんで恋人で、妹で恋人。それを成立させる方法として、「最初」を、「出会い」を、やり直す。

だからこそ、子供の頃の俺達は、何年かかってもそこまでは辿り着けなかったのだが…
しかし今の俺達なら、その距離もきっと乗り越えられる。
あれから成長して大きくなった俺達は、決して越えられなかった一線も、乗り越えられてしまう――


ここまでは簡単に来れる場所ではなくて、子供の頃は乗り越えられなくて――子供の頃に乗り越えられなかったから。十年もの遠回りと、時間と、様々な確認と手続きが必要だったけれど――必要になったけれど。それでも、その空の色のような移り変わりがあったからこそ、ここに来れて、『恋人』で『兄妹』という、新たな関係がはじめられたわけです。ラストシーンの空が、朝日を浴びていたように、「最初」にして「新たなる」はじまりが―――。


つばめメインシナリオ



それはたとえば鬼浜のように。
片岡ともさんが書かれていることから、おそらく本作一番のメインシナリオであり、またそうであると見るならば、本作のある点における根本を担ってもいるのでしょう。

理沙美沙「でもそれは、相殺されるものではなく、ずっと積みあがるモノなのよ……」
健士「…消えずにずっと?」
理沙美沙「ええ、だからあなた達は…もう大丈夫よ」
ここで言う大丈夫とは、俺とつばめのことだろう。
そして、お互いの貸し借りが消えるのではなく、ずっと積み上がるとするならば…
健士「…それは、繋がりの強さになるって意味?」


人と人との様々な出来事や思いは、良かったことも悪かったことも、喜ばせた・喜ばさせられたことも、悲しませた・悲しまさせられたことも、それらが足し算引き算で消えていくのではなくて、ずっと積み重なっていく。
それらは過去の自分たちであり、今の自分たちであり、そして未来の自分たちでもある。

色んなことがあって、今の自分たちがいる。子供のころに出会って、気まずく喧嘩して、停戦して、距離を縮めて、仲良くなって、離れたくなくて神戸まで向かおうとして、けど結局辿り着けなくて途中で結婚の真似事したりして、その後も、友達として遊んだり笑ったり泣かせたり、友達以上として遊んだり笑ったり悲しませたり、そして恋人として……それら、きっかけは「たまたま」だし、きっかけ以降も「たまたま」――つまり「偶然」ではあったのだけれど、それを「必然」に変えてしまおうと努力して。
「偶然」から「必然」へ。たまたま隣り合った同士が、たまたま今まで仲良くしてきた、その偶然を越えて、自らの意思で、もっと仲良くなっていく。もっと深い仲になっていく。
その「必然」への意思というのは、当然「貸し借りの絆」を深く強いものにしていきます。全てが意思ではなく、偶然のものならば、楽しませたことも笑わせたことも悲しませたことも、相手に全てがかかるのではなく、「偶然」というものに大部分がかかってしまう。けれど「必然」――「意思」ならば、それは殆どが相手そのものにかかる。たとえば健士が白血病リスクを自分ひとりで背負い込んだことなんかは、その「意思」の最たるものの一つでしょう。
「偶然」だけではなく――あるいは「偶然」すらも、己の意思でひとつの「必然」に変えていく。それは貸し借りの理論に基づけば、それだけ絆が深く強くなっていくということ。その深さと強さが、「対の片方」になる。 つばめパパ「ただ偶然、今に至っただけ…まだなにも乗り越えていない、まだ一人だ」 。と云うなら逆に、偶然ではなく、意思の力で導き努力の重さで辿り着くその必然で、そこに至れる。つまり、「偶然」で今があるというならば、逆に、「偶然」程度で今がなくなってしまう。たとえば、「偶然」生まれてきた子が白血病だったという事実だけで、彼と彼女の間が壊れてしまう……乗り越えられない。それがただ偶然なだけではなく必然まで含んでいたとしたら、言わずもがな。しかし「必然」で今があるというならば、「偶然」で壊れることはないし、「必然」相手でも戦いきれるかもしれない。さらにより強く深い必然で、対の片方を助け続ければ。

たとえば夫婦の関係でのそれは、つばめの両親がそうであるように――つばめの両親の語り口からも――そこまで特別なものではない。その語り口からは、ほとんど誰もが為しえている――大人になる、親になるという重さを受け止めるものとして、殆ど誰もが為しえているものでと捉えられるでしょう。
それは普段は目立たなくて、当たり前のようにそこにあるものだけど。
つばめが東京でどうしようもなく絶望に陥った時――耐え切れなくなった時などのように。どうしようもない絶望や、暗闇の淵に陥った時に。
それが、支えてくれる。その貸し借りの積み重ね。対の片方の絆。ここに至る彼ら自身が。
それは、暗い夜になってはじめて光っているのが分かる鬼浜のように。普段は当たり前のようにそこにあるけれど、絶望に、暗闇に出くわした時に。困難や、大変なことに出くわした時に。「その」、これまでの貸し借りの絆が。偶然を必然に変えてきた意思が。自分自身を支えてくれる。この先へと歩ませてくれる。たとえば、暗闇の中で道標となってくれた鬼浜のように、それは絶望や、暗闇や、困難や、大変なことから、その先へと、自らを導いてくれる。




「そらいろ」は、過去編の行動次第で○○ルートに分岐して、その中からさらに○○シナリオに分岐する……つまり、ひとりのヒロイン毎に都合3つのシナリオが存在しています。その上で、その「○○」が同じなもの(愛衣ルート愛衣シナリオ・つばめルートつばめシナリオ・花子ルート花子シナリオ)が、それぞれのトゥルールートと言うべきものでしょう。スタッフロールでのシナリオ担当も、それだけしか明言されていなかったワケですし。
これがなんというか、ある意味では面白さを殺していると思うんですよね。ただし完成度は抜群に上がっている。

だがこの世界で結ばれたのは、紛れもなく、いま俺の横にいる花子だ。
もしもの話は時に悲しい幻想になる。
だから、もうこんなことを考えるのはやめよう。
好きになり、好きになってくれたのは、この花子しかいない。
【愛衣ルート花子シナリオ】


たとえば、上のは象徴的な一文ですが、正史・トゥルー的なルートはあっても、他のルートもまた、”そこでの重みは”、同じだということが語られています。言うなれば、それぞれのキャラと「最も親密な可能性は(最も「必然」的な可能性は)」トゥルールートかもしれないけれど、他の可能性も、重みとしては等価であった。
これはかなり驚きです。そこでは「唯一性」「一回性」的なモノが死ぬわけですね。トゥルールートが全てではなくて、他のルートは二次創作でも”もしも”の話でもなくて、他の可能性も”(価値としては)等しく”あったものだ、となる。そして物語はそのことに自覚的なワケです。上のつばめのところに書いたように、「偶然」を「必然」に至らす重みが、メインテーマのひとつなわけですし。他のルートもまた、入り口は偶然だったかもしれないけど、彼らはそこで彼らなりの必然を作っていく。
それは試みとしては面白いし成功しているんだけど、ゲームプレイとしてはぶっちゃけ、むなしかったりします。なんせそれなら、”ここに(このゲームに)描かれていない”億を越える可能性すらも、原理上はここに描かれている可能性と等価になりますから。
ただ逆に、完成度としてはもの凄く上がっています。それぞれにそれぞれの「道程」や「未来」があり、それぞれにそれぞれの「偶然」と「必然」があった。このゲームで描かれているのは、億を越える可能性から無差別に選ばれた・あるいは最も優れているからや最も特徴的だから選ばれた「可能性」にしか過ぎないのだけれど、だからこそ逆に、”ここにある”「偶然」と「必然」が輝くという。
狙ってのものか否か分からないですが、この試みは、『そらいろ』を極めて特徴づけているし、ゲームプレイとしての面白さを下げても、その価値を非常に高めているという点で、見逃せないというか評価したいというか、なんというか、これは好きです。
ということで、おわり。

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-36.html

2009/09/25 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |
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