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恋文ロマンチカ 感想

   ↑  2009/09/28 (月)  カテゴリー: 未分類
・さあ、どう感想を記すか難しいところ。以下ネタバレ?

恋文ロマンチカ恋文ロマンチカ
(2009/09/18)
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・まずは『Sugar+Spaice!』との最大の違い――というか、恋ロマになくてシュガスパにある、シュガスパが傑作になりえた理由が見えてくる。そのひとつ(にして最大のモノ)が、「what are little girl made of. ――女の子ってなんででてきてるの?」。冒頭にテーマのように語られてますが、その答えは決して確定できるように出ない。中心にポンと置かれながら、何がその答えなのかははっきりしない。本編中(&クリア後の追加エピ)でSugarとSpiceが、そして本編中と「Everything Nice!」でそのものEverything Niceが示唆されているけれど、それは中身のない概念のよう――というか、そこに至るまでの日々全て(「Everything Nice!」に至るまでの過程すべて)をもってして、”そう”であるかのよう。「女の子ってなんでできてるの?」は、決して埋まりきらず、満たされきらない。何を持ってしてもそこに届かず、しかし確かに中心に存在する、「空虚な中心」。
これがおっきかったんですよね。「what are little girl made of.」のお陰で、このゲームは(この日々は)ただの女の子攻略ゲーでは回収しきれなかった。空虚の中身は、全てに対して分散し潜在し、それゆえにどれもこれもが価値あるものとして成り立っていた。

・『恋ロマ』において、「筆」がそれに当てはまるものとしてなれたかもしれなかったが……。しかし。経験が、恋が筆の糧になるとかいいつつ、作家になれるシナリオならばどんな経験だろうが恋だろうが作家になれるし、なれないシナリオならなれない。「恋せよ書生。恋すら筆の糧とせよ」。とか言うけれど、残念ながらその点においては自動的であり、この日々を回収する役目としての意味を為していなかった。習作システムが、「作家を目指す上でのもの」ではなく、攻略を円滑に進めるため・アイテムを入手するためのものでしかなかったように。イベントが筆の糧になっている(習作システム)が、別にその先に作家への道があるわけではなくて、実際には恋愛攻略の道しかない。アイテム集めの効用しかない。恋すら筆の糧といっても、筆の生産物が恋しかないんだから、なんというウロボロスとしか言いようがない。
ゆえにこの日々は、「恋」と「攻略」に回収される。女の子攻略ゲーとして在るが故に、シュガスパと異なり、日常は輝きを失う。

・というのが、シュガスパと比べた際の欠点ですが、逆にシュガスパと比べた際の長所にもなる。その分「恋」が強まっていて、そして恋の結実が普通に夢の結実(作家になる)に結びつく(シナリオによりますが)以上、「夢――目的」も強まっている。シュガスパが起源として存在する「記憶喪失」を、後退させ(春)保留させ(夏)埋没させ(秋)、その後様々な方法で対応し(個別シナリオ)、最終的(Everything Nice!)には「破棄する」という結論に至る――つまりありとあらゆる方法を等価で用いているが故に、起源が「ただの起源」として、後退・無意味化・脱中心化されていくのに対し、恋ロマの起源は「夢・目標」として確固に持っていたものであるからこそ、過程はどうあれ(シナリオによっては)届くものとなっている――というか、そうある必要があった。
ゆえに恋は必要だし、攻略は必要。これはちょっと倒錯的ですが、そして結果論ですが、作家になれるシナリオに入らなければ作家になれないワケで、そしてそれは恋人関係になるシナリオ殆ど全てで達成されているワケで、少し極端な話ですがならば恋人になることは作家になることの必要条件であり、だから日常を空虚な中心が潜在する輝かしい日々ではなく、女の子攻略ゲーとしてあるこの姿は、その意味で正しい。「夢」を叶える(作家になる)、「恋」もこなす(恋人になる)、その「両方」を手に入れるとしたら、解法はそれしかない。シュガスパと異なり、「目的」のためにある日々――起源の目的を達成させるための日々なのだから、そこに必要なのは日常の輝きではなく、飛翔への滑走路なのだ。

・作家を目指す彼が、恋もして、恋すら筆の糧として、そして作家になる――あまりにもそのままなこのあらすじは、あまりにもそのままこの物語になり、あまりにもそのままこのゲームに当てはまる。彼がそうなるまでの日々を描き、そこに恋愛過程があり、その先に夢実現への跳躍があった。それは、たとえばシュガスパと比べると、一つの輝きを消してしまうけれど。ここにあるのも、また一つの輝き。

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-37.html

2009/09/28 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |
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