![]() | Garden 初回限定版 (2008/01/25) Windows 商品詳細を見る |
久々に、何も書けないようなゲームに出くわしてしまった。書けない、というか、書きたくない? このゲームは”あれ”を想起させるのだけど、それがあからさますぎてワナにしか思えないのだけど、それをワナと思わせる表記がどこにもなく――瑠璃シナリオを作ってしまうことによって本当に失くなり――じゃあやっぱりそれは、”挑発”なんじゃないだろうか。
■ たとえば平行世界・平行宇宙があるとして、それが何処にあるのか――「宇宙」なんてサイズのものは、当然ながらボクらが今生きている宇宙には収まらなくて、じゃあ未だ見ぬ謎の空間とか別の次元上の何かとか概念上の何処かとか形而上の観念とかにあるのかというとそんなことはなくて、ホログラフィー理論によれば、ほんの1cm四方の空間に、この宇宙すべての情報が収まるそうです。つまり宇宙のすべては、この手の平の上にかんたんに載る。さらに幾つもの・幾人もの・幾パターンもの他世界を重ね合わせても、とてつもない量じゃなければ、それらは手の平の上に収まる程度でしょう。
Garden。
正直な話、パッケージと、内包されていた説明書を見て、最初に思い至ったのはそのことでした。

彼と彼女たちが居るその空間、というパッケージ、そして箱を開けて出てくるのが、その空間を手の平の上に載せている主人公、という絵。
手の平の上の庭。
手の平の上の平行世界。
ボクの正直な感想を言うと、このゲームは凄くよく出来てる。お話もいいし、テキストもいいし、キャラクターも良いし、音楽も絵も素晴らしい。だけどなんだろう、このプレイ感覚は……とにかくキモチワルクテしかたない。何か、見ないほうがいいものを見せられている。論理的な説明は無理です、あくまで感覚の話です。とっても良いのは分かるけど、とてもじゃないけど耐えられない。
楽しい監獄という表現に、ほんの少し苦笑い。
絵里香がそれを見逃すはずもなく、「なに笑ってんの」と肘でつつかれた。
「いや、確かにそうだと思って」
特に今の僕にとっては。
この優しすぎる世界。キャラクターはみんな、涼か、その一部分か、あるいはそれに関わる何かの鏡面のようで。それが閉ざされたこの庭の中で、まるで涼を癒すかのように作用する。―――つまり、逃げ場がないんですよ。続いていかない。「千夏の過去」を引き合いのひとつに、外の世界(というか世界)が、残酷で慈悲も容赦もない世界であることを涼は語るけれど、けれども。この先の向こう側にそれが続いているだろうこと(そしてこの前においてはそうであったこと)が示唆されているけれど、けれども。この庭園においては、その残酷さは恐ろしいほど影を潜めている。もちろん、それでも、ボクらの現実は、相変らず残酷で、慈悲も容赦もなくて、イルカってだけで優しく接してくれることもなければ、他人のことをそこまで考えてくれる人で溢れてたりはしませんが。
この庭があまりにも優しすぎて、綺麗すぎて、しかも「逃げ場がない」つまり”残酷さに逃げられない”世界であって――それはボクらから見れば、現実逃避としか言いえないほどの理想庭園で、逆にキモチワルイ。いわゆる主人公=プレイヤーと見るゲームプレイでは……こんな空間、耐えられるわけがありません。耐えられるわけがありませんよ。こんな平行世界が何処かにあってキミの手の平の上に載ると、本気で思っているのかい? という耐えられなさ。そう思わせることはワナなんじゃないだろうか? でも、否定する材料も何処にもない。本当に恐ろしい。挑発されているのだろうか、自分は。
主人公=プレイヤーというのは絶対ではなく、それは(プレイヤーの位置というのは)”プレイヤーが当てはまる(置かれる)主体の場”でしかない。しかし、主人公を除いたら、このゲームは、他に何処にそれがある? この庭を見ている何者か? ああ、その方が「もっと辛い」。
「いくら手を伸ばしても手の届かないものってあるじゃない?」
ちらっ、と島津は机の傍らに置かれた望遠鏡のケースに目をやった。
彼にとっての天の星々は、手を伸ばしても届かない、だけど欲しかった、そういうものなのだった、と?
「でもさ、星に手が届かない体に生まれたことで親を恨んでも神様を恨んでも、それで願いが叶えてもらえるわけじゃないんだよね。せいぜい周りの人に構ってもらえるだけじゃない。それも周りの人に相応の負担をかけることで実現するわけだけど」
絵里香は星に手を伸ばす愚か者で、それを構う周りの人間が、僕たち。
それは、確かにそういう側面もあるのかもしれないけど、でも…
(中略)
「うん。そういう人がいてくれるから、天文馬鹿でもある日気づくんだ。空はとても綺麗に見えるけど、そこに自分が求める幸せが都合良く転がってるわけじゃないんだな、なんてね」
「幸せってさ、降って湧くものじゃないでしょ。手が届くから…というより、自分の手の届く範囲にしか存在しないのが幸せかな? 手の届かない空に浮かんでいるのは、夢。見果てぬ夢だよ。まぶし過ぎて目がくらんじゃうんだね。手が届くような気がするし、近くのものが見えなくなる」
これは届かない夢。神谷涼とヒロインの幸せしかここにはない。本当に恐ろしいほどに。
だからこの中で、唯一手の届かないものとしてある「瑠璃」は、ある意味では、凄く良いバランスだと思うんですけどね。CUFFSは瑠璃シナリオが無いことの理由を「整合性」と(公式サイトで)仰ってましたが、それが制作遅れか何かの言い訳なのか、あるいは本心かはともかく、確かに、それが無いことによりある種の整合性は出来ている。この庭の中で唯一<現実的>なものとして瑠璃がある(=瑠璃シナリオがない)ことによって、最低限のバランスが保たれている。過去と未来と言葉以外に喪われた「残酷さ・理不尽さ」がそこにある。千夏が喪われるような残酷さ・理不尽さを唯一孕ませることによって、この庭は、ただの「虚構の庭園」ではなく、ギリギリの虚構の庭園と化している。手が届かないけど手を伸ばしたくなる程度の距離の星に、なれている。
完成したら、恐らく、ここは本当に手が届かない、手を伸ばす気にすらならない「星」になってしまうのではないだろうか。本当に逃げ場の無い庭園が完成してしまう。それはそれで、もちろん良い事なのだろうけど。でも、今ある形ゆえの魅力とは、また違ってしまうのだろう。
(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-44.html
2009/10/13 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |