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スズノネセブン! 感想とか

   ↑  2009/10/19 (月)  カテゴリー: 未分類
スズノネセブン!  通常版スズノネセブン! 通常版
(2009/03/19)
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「普通」とか書くと怒られるかもしんないけど、「普通に良い」感じでした。山も谷も普通くらいにあって笑いもお涙も普通くらいにある、けれど萌えだけは沢山ある、そしてテキストなどが全体的に丁寧だし、言葉遣いなんかも多少面白いのが見受けられるし、またキャラクターが良くってねえ……あれなんかそれじゃ「普通」じゃないんじゃないのって感じですが、けれど普通というか、「普通に良い」というか。

しかしさー、後から「どういうシナリオだったか」を思い出そうとしても、「エロシーンがいっぱいだったなぁ……」ってことばっか思い出してしまうんですけどw  いやこのゲーム、各キャラにエロシーンが4つもあって、でも抜きゲーじゃなくて普通のストーリータイプ萌えゲーですから、告白もエロシーンもラストの方までおあずけなんです。となると、必然的にラストの方にエロシーンがぎゅう詰めされることになりまして、やれ5分おきにエロシーンとか、エロシーン→シナリオのクライマックス→エロシーン→シナリオの問題解決→エロシーン(注:全部5分おきぐらい)とかみたいになってて、後から思い出そうとするとシナリオとエロシーンが混ぜこぜられてもう何かわけわかんねえw
全キャラライターさん違うっぽいですが、とりあえず柚子里先輩シナリオが断トツで良かったですね。初デートがヒロインのお漏らしで中止とか、ヒロインのオナニーの後始末を主人公がやる嵌めになるとか、なんかセンスが突き抜けていた美奈都シナリオも面白かったです。すみれシナリオも普通に。

どのシナリオでも、幸村がある一定条件化・ある手続きを踏んだ上で限定的になら魔法を使うことができても、本当に魔法使いになることはなくて、「結局素質がなければ魔法は使えない」という大前提を保ったことがひとつの肝でしょうか。それ故に(厳密な意味での魔法が使えないが故に)「願いは魔法になる」という言葉が意味を・重みを持っています。

要「『願いは魔法になる』、桃子があんたたちにそう言ったそうだけど……それは、言葉で言うほど簡単な話でも、都合のいい話でもない」
要「それ自体が魔法になってしまうほどの、強い意志や信念が必要になる」
要「そして、それを確固たるものにするのは、努力や経験の積み重ねだと、あたしは思う……。幸村の場合もそうだったんじゃない?」【柚子里シナリオ】


魔法が使えない=願えば簡単に届く・叶うものじゃない、けれども、『願いは魔法になる』という命題が真ならば、「届いた・叶った願いは魔法になる」ということでもある。つまり、上の要先生の言葉の続き、

要「『偶然』が味方して、桃子のカードをあんたたちが使うことになったわけだけど、その偶然を紡ぎだすだけの努力をあんたたちはしてきた」


本当の魔法使いで、その能力があれば――ただ願えば都合よく叶えられる(魔法になる)かもしれないけれど、素質がなくそうではないものは。それを叶えるだけの努力と経験をしてきて、その結果、叶うという奇跡――魔法が生じうる。願いを叶える努力があってはじめて、『願いは魔法になる』ということ。それは、魔法の素質のある者より、素質の無い者の方がもっと使える位置に近い「魔法」であるのでしょう。


特殊空間の延長線上



この合宿の究極的な目的には、対象生徒の物事に対する視野を広げさせる――ということが含まれてるように思えてならない。
俺も含めて選ばれた七人はそれぞれ違う意味で超自分勝手だ。
このまま卒業しても社会の中では行き詰る、と判断されても仕方ない。我ながら情けないことだが。
そんなヤツらにまず求められるのは、他者との協調。【美奈都シナリオ】


「このままでは進級・卒業ができない生徒」を集めて、それぞれに課題を与え合宿を行い、その課題をクリアする――というのがこのスズノネトライアルの名目であり、そして選ばれた七人の目的・目標なのですが。幸村くんが察したように、その名目以上の意味合いが存在します。これは単に「成績が悪い者を集めてすっごい補習をする」というものではなく――実際に「成績が悪い者」は半分以下しかおらず、また殆ど全ての者が何かしらについてとてつもなく秀でており、そして作中で語られるように過去「セブン」に選ばれた者から後に凄いことした・活躍した者は多い――別の意味合いが含まれている。柚子里や仁乃・すみれの課題などが顕著でしょう、彼女たちはけっして成績が悪いワケじゃないけど、このままでは、どうしようもなくなる・いつか大問題を起こすかも・これ以上伸びる素質があるのに伸びないままで終わってしまう……セブンに選ばれるということは、単に成績悪いから救済措置とかいうだけではなく、「そういったものをどうこうする為の機会」という意味を込められている。

学園長「共同でことにあたり、なにか結果を出しそうな場合は、そちらをクリア条件として優先させるということになっておるのじゃ」【仁乃シナリオ】


”わざわざ合宿という形式を取っている”ことからも、前述の幸村くんの読み&この学園長の言葉の意味は明白でしょう。学園が長期休暇中で昼も課題に当てられるというならともかく、通常に授業が行われていて、その後の数時間だけを課題・補習(もちろん課題はそのほかの時間で自主的に進められるけれど)に費やすのなら、わざわざ合宿形式を取るメリットが少ない。みんなよっぽど遠い場所に住んでるとかならともかく、描写される限りにおいては、一人二人はそうかもしれないけど「みんな」というのはありえなそう。ということは、このように合宿形式を取るということは、「他人と触れ合う機会を創出する」ことを加味しているのではないかと考えられる余地はあるでしょう。
てゆうか、上記の学園長の言葉が、そういう意図が隠れてたことを立証しているようなものです。「共同でことにあたり、なにか結果を出しそうな場合は、そちらをクリア条件として優先させるということになっておる」。一人では叶わないことも、複数人なら、二人なら、と。

そしてそのような状況なのだから、自然と仲良くなるし、男女ならば男女的な意味での親密さも生まれやすい。そういう意味で、この状況――スズノネトライアルは、ある種の「特殊な」空間なわけです。普通じゃない状況であって、仲良くなりやすい状況であった。合宿の終わり際にそのことを感慨深く思う描写は、複数シナリオで為されていましたね。
そのような「特殊空間」から恋人同士になり、その「恋人同士という特殊状況」を、通常の状況に引き継いでいくということ―――

幸村「漠然としてるけど、その子とたくさんの時間を過ごしたいと思った時が好きになるってことじゃないかなぁと……俺は思う」【共通シナリオ】


たとえば「日常」「非日常」という区切りを付けると、このスズノネトライアルは彼らにとっては「非日常」にあたるわけですが、さてしかし。非日常自体は、けっして日常に延長しないものとは限りません。スズノネトライアルという非日常で得たものは、課題の達成が「何らかの獲得や克服」を意味している場合は――彼女らにあるいは何らかの影響を与える場合は(つまり全ヒロインにおいてですが)、それが日常に続いていきますし、非日常下で恋人同士になったものも、彼らがそうであるように、日常へと続いていく。ずっとこの状況は続かない特殊な空間だけど、そこから何かを得たり、ここからたくさんの時間を過ごしていったりする。


不問にされる窃視



セブンの彼らをめぐる「大人たち」の存在自体が非常に面白かったです。
要先生は、実は彼らを見ています(監視しています)。もちろん、「出来る範囲で」ですけど、課題の達成過程・達成具合を見なくてはならないのだから、出来る限りにおいて彼らセブンのことを観察している。柚子里先輩シナリオなんかでは特に目立っていましたね。実はこっそり後をつけていました、みたいな。”実は見ているかもしれない存在”
見ているかもというのなら、桃子さんもそうかもしれません。神出鬼没で、何処に・どんなタイミングでもぽんぽんと現われる。さっきまで図書館に居たのにもう居ない、なんてザラ。さっきまで遠くに居たのに今は真近くに、なんてこともザラ。瞬間移動が使えるんじゃねーかといぶかしられてたほどでした。シャッターチャンス=面白いことがあるなら、いや無くても、謎の嗅覚を駆使して何処にでも現れる。テレパシーが使えてるかのような勘の良さも披露していました。要先生と同じく、彼女もまた”実は見ているかもしれない存在”。あのシーンもこの場面も、茂みの奥に、壁の向こうに、桃子さんが居てもおかしくない。
そしてもう一人……というか、さらに包括して見ている存在として、学園長がいました。地獄イヤーに千里アイ。学園中の会話は殆どすべて傍受しているような状態であり、また千里アイについては深く語られませんでしたが、学園中をかなりの部分監視している可能性は高いでしょう。課題達成となれば”実は見ていた”かのように、”どこからともなく”現れて鐘を鳴らす。要先生が悪口言ったり反抗的だったりすると、それを察知しすぐに釘を刺す。ヒントが欲しい時やピンチの時にスパッと現われたりもする。自分がこれから見られるという時は、それを察知して風呂に入り、幸村の魔力が足りなくて美奈都のピンチの時は、(恐らく)こっそり手を貸したりする。学園長もまた、実は見ているかもしれない存在……実はというより、きっと絶対たぶん”見ている存在”。学園&箱舟公園あたりまでのことは、何であれ見ている&聞いているかもしれない――見られてる&聞かれてるかもしれない。

そのような超越的視点が存在している”はずなのに”、主人公やヒロインたちは殆ど”意識していない”(殆どであって、意識している箇所や場合はあるにはある)というのがなかなか面白い。要ちんなんかは意識しまくりだったのですがw
その視点を意識しないということは、見られてる&聞かれてるかもと知っていても知らなくても、あるいは忘れてても、彼らの言動に対しそれが何の効果も発揮しないということです。しかしそれでも、見られてる&聞かれてるかもしれない。超越的な視点というのはプレイヤーの視点にもなかば接続できるといえばできるのですが(さらに本作の場合、幸村視点だけではなくヒロインやサブキャラ視点で物語が進行する場合も多々あるので余計に)、そのことを彼らが自覚していてもそれが彼らの(直裁的な)超越的審級となりえない――見られてることを知っていても気にせずに・あるいはそれを忘れて彼らが振舞えるという点で、彼らを真に「見る」という距離が作られている。映画とかに近い、鑑賞の理想的な距離の一つ。窃視ではなく、窃視しているとバレていてもそれが保留される(不問にされる)という、鑑賞において最適化された一つの距離です。これは狙ってやったのでしょうか。すげー上手いんですけど。
(幸村を中心とした)彼らを見る(鑑賞する)という観点において、この「物語世界内に内在する超越的な視点」の気軽さは、窃視自体を気軽なものに転化させており、なんつうか、完璧としか言いようがない。しかも最大の窃視者である学園長は、幾度か語られたように「学園生に対し愛がある」のですから――もちろん、というか更に茶目っ気やイタズラ心もありまして――故に盗み見てもいるけれど、包み込むような視点の眼でもある。もちろん盗み見てもいるんだけど。その二つは両立している。そしてそのような眼の存在は、うっとおしがられたり厄介がられたりするけれど、最終的には不問である。
これが、物語世界――彼らに、対する私たち自身の窃視の「窃」の罪悪を浮遊させて、この作品に組み込ませるように見させていることによって、非常に良い効果を発揮しているように思う。


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