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幼なじみは大統領

   ↑  2009/11/10 (火)  カテゴリー: 未分類
幼なじみは大統領 My girlfriend is the PRESIDENT幼なじみは大統領 My girlfriend is the PRESIDENT
(2009/10/30)
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雪乃 『わたし達はこれから、どのような変化を見ることになるでしょう? どのような発展を、わたし達は築けるのでしょう?』
雪乃 『これは、わたし達がその問いかけに答えるチャンスなのです。そうです。わたし達はできるんです!』
雪乃 『皮肉や疑いにあったら、わたし達国民の精神をまとめる永遠の信念をもって、こう答えるのです』
雪乃 『イエス、ウィー、キャン!』(※正確には噛んで『いえす、うぃー、きゃむ』だけど)


大統領やらプーちんやら法王やらのぶっ飛んだ設定と、それをそのままぶち込んだトレーラームービー(http://www.youtube.com/watch?v=ha8NJQwL_oQ)で話題を呼んだ本作ですけど、なんと予想外に、普通な萌えゲー(みたいな感じ)でした。

この輝きが、これで得られた期待が、本編になかった……というのは残念。大統領だけど学生にしちゃったせいか、さらに大統領の周りにクラスメイトが多かったせいか、大統領というのがある意味部活動みたいになってしまっていた。ですが、多分女の子といちゃいちゃするゲームとしては普通に出来ているんじゃないでしょうか。ボクとしては主人公のひとがぜんぜん好きになれなかったので、むしろ主人公くたばれって感じでゾウマ先生を応援していましたが。

以下ネタバレ。


『イエス、ウィー、キャン』というのは最初ただのネタかと思いましたが、実際には本作の根幹的な思想でしたね。できる、やれる、示す、―――そして実際に「できて」、「やれて」、「示している」。
どのシナリオもゾウマ先生、そして(彼の命により)レミが敵対者となりますが、彼と彼女を動かすのはとにかく「ルサンチマン」です。純一郎妬ましい、何このモテモテ、ファッキン、死ね、というのがゾウマ先生を動かす感情の源。

ヨーゼフ 「私だけの、モテモテ帝国を作りたかった!」

レミもまた、雪乃絡みでの純一郎への嫉妬(あるいは嫉妬心ほどではなく、単に邪魔なだけ、ウザイだけかも)、エルシナリオで語られたような承認欲求――

レミ 「レミの優秀さを示せば、雪乃様が振り向いてくれると思ったから」
レミ 「レミが最強だと示せば、ママが迎えに来てくれると思ったから」
レミ 「レミだって、誰かに優しく抱きしめてほしかったです」

それにプラスして、ゾウマ先生からの命令。これらが彼・彼女を動かしていました。

つまりまんま、「リア充vs非リアのルサンチマン」な構図なワケです(笑)。

全シナリオが大なり小なりそれ。まあ当然のことながら、大統領もその補佐官も、どう考えたってリア充なわけです。そして正体を表沙汰にせずに生きるガーディアンは、彼らに比べれば遥かに非リアだった。そこに嫉妬・羨望・承認欲求が生まれてくるわけです(笑)。いやはや、このようなネタをやるというのは、確かにトレーラーみたいなぶっ飛びは無かったけど、これはこれでぶっ飛んでいる。
そのことに対する本作の解答は何か? それは、レミが(クーの)家族として承認されたり、雪乃ファン(顔がAのヤツ)が雪乃・純一郎たちと「友達」となったりという「包括」による対応でした。お前らも俺達の仲間だ、お前らも俺たちと一緒だ、家族だ、友達だ、……そうして包み込むことによって、そも憎悪を向ける対象すらいなくなる――むしろそんなことより「イエス、ウィー、キャン」、俺たちならできる、という前向きさに向かうでしょう。特に雪乃シナリオなんかでは、その思想が強調されていました。 蘭「国を守ろうなんて大層なことは考えなくていい。大好きなひとのことだけを考えて。生きてまた愛する人の笑顔を見たいと願って」「そうすれば、嫉妬深い神様には嫌われても、気のいい宇宙人と可愛い大統領があたし達を守ってくれるから!」 エル「仲間を……オトモダチを信じれば何でもできる。信じる心が力になる」「だから、ワタシは叫びます。イエス、ウィーキャンと!!」

「リア充死ねカップルくたばれクリスマス終了のお知らせvs魔法の言葉イエス・ウィーキャン」においては、必ず後者が勝つというのが本作の論理。恋人、友達、仲間、みんな、そういうのが強いというか、ある意味恋愛が最上位ともいえるでしょう。雪乃シナリオのラスト、世界を元の姿に戻すところでは、雪乃が「浮気しちゃダメー」と叫び慌てたために、キスする場所が本来と異なりおでこになります。そうしたら、世界は元の姿に戻らず、今と(純一郎&雪乃的には)大きくは変わらない、今と地続きの世界になりました。これは彼自身が語るように、彼の望んだカタチでもありましたね。

純一郎 「たぶん、俺自身がこうなることを望んでいた気がするんだよ」

なんだその都合の良い結果はという感じですが、これの凄いところはその理由です。純一郎がくだらないことを言って、雪乃が浮気しちゃダメーと慌てて、それで世界の回復が狂った。これには意思も意図も目的もありません。いわば偶然です。こういう世界にしたいと思ってデコにキスしたわけではない。けれど、雪乃が「浮気しちゃだめー」と慌てるくらいに純一郎のことが好きだったから、結果的にデコにキスしてしまって、それがまた結果的に、世界を純一郎の望みに近い形に作り変えさせた。
これをただのご都合主義と切り捨てるのではなく、結果から意味を見出すと、つまり、ここでは、「恋愛が、無目的だろうが無意図だろうが、世界を変革する力を地位を持っている」ということです。欲しかったものが、その恋愛の力によって、たとえ意図していなくても、偶然でも、手に入る、できる、成し遂げる。能力開花がキスとかいう時点で、かなりその気が強いのですけど、最終的には世界までもが恋愛的にイエスウィーキャンなわけです。
ある意味恋愛至上主義。恋愛が究極の「イエス、ウィー、キャン」。故にゾウマ先生は全てにおいて敗れ去るわけです。そしてファンAと異なり、彼らに包括されるという承認を拒んだゾウマ先生は、現実を捨てエロゲに真の現実を見い出したり、逮捕されたり、病院送りにされたりするワケです。この二者(純一郎――ゾウマ)間の徹底的なコントラストが、その「仲間―恋愛―イエス、ウィーキャン」の優位性をさらに強めている。

『イエス、ウィーキャン』という魔法の言葉、彼らを貫く永遠の信念でもって、嫉妬や障害を撃破していく。そのようなことが前面に押し出されていた内容でした。

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-49.html

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