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ましろ色シンフォニー

   ↑  2009/12/14 (月)  カテゴリー: 未分類
神ゲーというより、悪魔・魔王ゲー。いやだって甘すぎて魂抜かれるどころの騒ぎじゃないですよ。魂をバニラエッセンスに浸しておきながらリリースしてくるから、簡単に廃人作成三分クッキングですよ。

ましろ色シンフォニーましろ色シンフォニー
(2009/10/30)
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さて。「甘い甘い」という評判は既にお耳にされてるかと存じますが、たしかに甘いです。しかし一言に「甘い」と申し上げましても、それは何段階かに弁別可能でございましょう。味覚における「甘い」と同じですね。まず縦方向としての”強弱”――ほんのり甘い、僅かに甘い、少し甘い、そこそこ甘い、かなり甘い、超甘い、死ぬほど甘い――などがありまして、次に横方向としての”性質”――大雑把・大味に甘い、薫るように甘い、上品に甘い、単純に甘い、純粋に甘い――などがあります。では「甘い甘い」言われている『ましろ色シンフォニー』の甘さとは、そのうちの如何なるものでしょう? 答え、「全部」です。ほぼ全部が詰まっています。米国産特売品のパック詰めアイスクリームもあれば、高級店の上品スイーツもある。とはいえ基本はハーゲンダッツとでも言えるでしょうか。決して下品ではないけれど、かといって一流シェフってほど上品なワケでもない。ただただ単純ストレートに甘いだけってワケじゃないけれど、ほんのり香るような甘さを醸し出しているってほど奥ゆかしくもナイ。もちろんそういう箇所もありますが、基本的にはその中間的と言えますでしょうか。――まあなんていうか、一言で言えば「甘い」なんですけど、ここには様々なその「甘さ」がある。

その「甘さ」。脳がやられるというか、脊髄がやられます。心よりも精神よりも先に。

しかしそれこそが、本作の目指す所でもあるのでしょう。ただ甘いのを見せたいから見せるだけで終わりなのではなく、それはテーマとして理に適ってる。
いちゃラブやバカップルを上手に描くのって、最も難しいと思うんですよ。その辺のカップルがいちゃついてんのを見て楽しめるか? って問えば、それは無理でしょ。駅前や街中とかで、どこの誰とも知らないカップルを観察して「楽しい」なんて思える人はそうそういないでしょう。しかしそれが、「その辺の奴」ではなく「よく知ってる奴」だったらどうだろう。しかもこっちはそいつに好印象を持っている。そういう奴のいちゃラブなら、多少は印象が変わるのではないだろうか。その上、そのカップルの経緯を知っていたら――たとえばどんな紆余曲折があって、障害を乗り越えて、微妙な時期を通過して、今になったのか、それを知っていたら。素直に楽しめることはできなくても、「うぜえ」と言いながら苦笑いくらいは出来るんじゃないだろうか―――。『ましろ色シンフォニー』を端的に言い表せば、このようなところでしょうか。たとえば愛理シナリオなんかは、まさにそう。主人公カップルの甘いイチャイチャを、クラスメイトたちにとって「うぜえけど憧れる」というポジションに最終的に置き、それがまんまゲーム冒頭から繰り返し示されてきたメインテーマ的なものと結び付いて、さらにトラウマの克服や親の重力圏からの飛翔にも結び付くという怒涛のたたみかけプラス、そもそも丁寧に描写し続けてきたことによりプレイヤーに好印象を抱かせていて、結果、一般生徒と同様に、プレイヤーが彼らのことを「うぜえけど憧れる」と思うことを”許している”、というか推奨している
「人間ってのはいつだって、もうはんぶんを探してる」 。パートナーであり理解者であり協力者であり、自分を補ってくれる相手であり自分が補ってやれる相手である。つまり私の色の歪みをまっしろからはじめられる、もうはんぶんの恋人。それはつまり―― 「人間ってのはいつだって、もうはんぶんを探してる」 というのはつまり――「恋人を探している」と言い換えることが出来ます。人間ってのはいつだって、恋人を探している。いや、探すべきだ、恋人が必要なのだ、と。恋人が欲しい、恋愛したい。それって屈託無く言うのが難しいことですよね。邪念や虚栄心とか、見栄や劣等感とか、孤独感や不安、甘えたい心とか。屈託無く「恋人なんかいらない」というのが難しいのと同じ様に、屈託無く「恋人が欲しい・必要だ」ということも難しい。そう思ってなくても、そう受け止められる。あるいは、そう自覚してなくても、それが潜在しているかもしれない。
そんな 「人間ってのはいつだって、もうはんぶんを探してる」 を、ダイレクトに、実直に、完全無欠に標榜できてしまったところが、『ましろ色シンフォニー』の素晴らしいところだと思うのです。
先に書いたように、愛理シナリオ終盤、彼らのバカップル/いちゃラブっぷりを、生徒一同が「うっぜぇぇ~~~~~っ!!」という――言いながら、それはうぜえから消えろとかではなく、苦笑いとしての「うぜえ」であり、そして「いいなぁ~」と羨ましがる。ここで知るのはその幸せの色、心地よい空気。”もうはんぶんがあると、こんなにもステキで楽しいんだ”、そんなことを――それは学園長が再三言ってきたことなのですが――ここで思い知らされる。そして学園長が言うように、自分はそれを求めていいし、むしろ求めるべきなんだ、と。

ボクらが、その辺のカップルがいちゃついてんのを見て、楽しむってかなり難しいでしょう。その上それを羨むなんて、何の屈折もなしに出来るはずもない。しかし、『ましろ色』はそれを為しえているワケです。
いちゃラブの肝は「オーディエンスに何を思わせるか」でしょう。ただイチャイチャしてんの見て楽しめるか?まさか。純粋に羨ましがれるか?そりゃ不可能だ。―――しかし『ましろ色シンフォニー』は、丁寧な綴りと描写、魅力的で好意を抱ける人物、もうはんぶんを探すことの全力肯定、それらにより、イチャイチャを見て楽しむことも、それを純粋に羨ましがる(というか、指向する)ことに成功している。
素晴らしいとしか言いようがありません。
”もうはんぶん”、その存在、それを手に入れること、それらすべてを、完全に肯定し、全力で推奨し、完璧に描き表している。


演出について


「立ち絵芸」が目立ちましたね。
masi155.jpg
たとえば上記のように窓越しに映るとか、ガラス越しに映るとか。映画やアニメで、カメラと舞台(=会話や出来事が起こっている場所)の間に窓がある――つまり「窓越し」ということですが、これはそこに固有の文脈無視して考えると、見る者が外側に排除されている/内側の者が外側の者を排除している/直接を避けている/窃視的表現である、などという効果が生み出されます。もちろん文脈によって様変わりしますが、あくまでそのシチュエーションだけから推測すると。上で引用したところは、愛理ルートで、まだ愛理と学園長の仲が上手くいってない時点での二人の会話風景なのですが、ここでは敢えて窓越しであることのそういった効果が明白ですね。まだ”直接を避けている”。愛理と学園長、お互いが直接(素直に心さらけ出して)を避けてるし、二人の心情をきちんとは知らない主人公やプレイヤーにとっては、二人の会話というのは直接(その深い部分)を避けられた壁越しのモノしか理解しえない。非常にアニメ的な演出手法と言えるでしょう。
たとえば会話部分で、普通なら(話しているキャラクターの)立ち絵を表示してテキストが展開されるものなのに、壁とか道とか、あるいはカーブミラーとか電柱とかを映したまま会話を進行させる、これもなかなかエロゲとしては珍しい感じでしたね。しかも後者は、そういう場合以外ではほとんど使われない絵素材――つまり、その為に用意したと言っても過言ではないものでしたし。これらもまた、指向性としてはアニメ的な演出でしたね。しかもシーンの入りや最後に挟むつなぎのカット的な役割をしていたりもしました。これは上の「学園長室の窓越し」もそうですね。上では「直接を避けてる」と書きましたが、ぶっちゃけそんな場面は滅多になくて(笑)。大半はシーン入りの状況説明カット的に使われていた面も多いです(アニメなんかだと、たとえば教室の中での会話を映す前に、「2-C」とか書かれた教室の表札(あれ何て名前なのかなw?)を廊下側から映したカットをまず提示して、次に教室の中の人物やその言動を映す、なんてのがよくあるじゃないですか。それと同じ感じです)。そう考えると、発話人物を追ってカメラが動く場面がたまにありましたが、あれも普通にパンという意味合いなのかもしれません。

「うしろ姿の立ち絵」というのも多用されてました。基本的には人物配置の位置相関といった具合ですが、うしろ姿である=顔が見えないというのが、秀逸に作用していた部分もありましたね。
masi156.jpg
たとえばこの、桜乃ルートの、桜乃が新吾に告白された直後のシーンのうしろ姿立ち絵とか。この時の桜乃の表情って、どんな立ち絵でも表現不可能でしょ――つうか、表現しない方が表現できてるでしょう。うしろ姿だから表情が見えないというのではなく、ここでは見せない/見えないという表情が見えている。
そういった演出は幾つか使われてましたね。表情を見せないことによる重み・意味を、十全に活用するという意義での「うしろ姿」。もちろん、そうではないところも多々ありましたが。

全体的に見ると「アニメ的」な趣向が凝らされていたと言えるのではないでしょうか。ただ逆に、アニメと比べた時のあまりの弱さが浮き彫りになったとも言えます。どうしても素材が限られてますから、同じ様な背景・同じ様な動き・見せ方というのが多くなって、一回性が薄くなる上にそれぞれが勝手に接続・参照されてしまう。また殆ど全てにおいて、(これは殆ど全てのエロゲの殆ど全てのシーンに当てはまることですが)アイレベルで固定されているのも、演出の幅がかなり狭められてしまうでしょう。この辺は――というか全体的に、今どこまで出来るかはひとまず見えたので、そして伸びしろもまだまだあると見えるので、次回以降に期待ですね。アニメ(実写)を参照にしつつ変わっていくのか、あるいはエロゲ独特の「何か」を生み出していくのか。


愛理シナリオ


しかし愛理シナリオはホント最高でした。自分で自分の望みが分からない(自覚していない)人間が、それを知らぬまま頑張ってしまう姿は本当に美しい。母さんに甘えたいのですが、その為には母さんを自分に甘えさせてあげられるようじゃなくちゃダメなんですね、この二人の場合は。元はと言えばそこに行き着くための自己研鑽だったのに、時間が、あるいは思いの重さが、その根本たる部分そのものを隠蔽してしまった。それでいて自己研鑽だけは続いていくのだから、それはもうゴールを見失ったマラソンと同じです。それどころか、何で走り始めたのかも定かじゃないし、優勝商品が何かも忘れてしまっている。
そんな娘がまさに、うりゅーとの出会いから、そういう自分に変わっていく。うりゅーに甘えてうりゅーを甘えさせることが出来る自分という、その見失ったゴールである自分に変わっていく。いやまあ真のポイントというか、見ていて楽しく……? いや楽しいのかこれ? 嬉しく、か……? とにかく見ていていい感じの色や空気なのは、その中身なんですが。つまり存在しなかった「甘え」ですね。
愛理は、ただ単純に「他人に甘えることを良しとしない女の子」ではなく、「このさき甘えるために、甘えることを良しとしない女の子」です。とはいえその前半部(このさき甘えるために)はすっかり忘れちゃってますが。何が愛おしいって、その前半部を忘れちゃってるのに後半部を貫徹できてしまっている部分です。やべーです。そもそも何で走り始めたか忘れちゃった上にゴールのないマラソンを走ってるんですから、その結果が現状の「変わらない(のを好む)」「内側/外側の分別」という防御機構なのですから、そりゃ新吾くんも「ほっとけない」と思わざるを得ない。我々もほっとけないと思わざるを得ない。つまり愛理最強、と。
だからここでの(このシナリオでの)「甘え」というのは、甘えは甘えですけど、ただの甘えではなく、見失っているものを取り返している行為なのです。こういうのは好きにならざるを得ない。やー、ボクたちだって、こうなんか生きてて、なんか努力したり悩んだりしてるだろうけど、「そもそも自分は何を求めているのか・何を求めていたのか」なんて結構忘れてたりすると思うんですよ。つーか叶わないのであれば、適度に忘れないと歩んでいけないんですけどね、愛理と同じ様に。そんな「失くしちゃいけないのに失くしちゃったものが手に入る」、そういうお話、シチュエーション。これはもう全人類弱いと言わざるを得ないんじゃないでしょうか。つまり愛理最強、と。
そう、ここでの「甘え」というのは、「失くしちゃいけないのに失くしちゃったもの」なんです。だからこんなイチャイチャっぷりを見てても、まったくもって気持ちいい。
その学園長の言葉を借りれば「ゆがみ」、ふたりが出会ったシチュエーションを借りれば「道に迷う」、そこからの脱却が”もうはんぶん”との出会いです。そりゃ「もうはんぶん」って表現するくらいなんだから、人間ひとりだと”はんぶんしかない”んですよ。ゆがんでて当然、迷って当然。人はそんくらい弱いしそんくらい辛いしそんくらい苦しい。それでも半分はあるんだから、ここまで・これほどくらいならば走れてしまう。それはとても強く、美しく、素晴らしいことだけれど。それでもやっぱり、もうはんぶんがあれば、さらに強く、素敵で、幸せな色に変わっていく――変わっていける。



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2009/12/14 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ |

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