前回の続きです。えっと今回、『智代アフター』だけは結構ネタバレあります。他はまあ、なんだろ、あんま気にしなくてもいいんじゃないかなーって感じ、だと思う。そしてまた次回に続くんだぜ……!
えっと、とにかく登場人物が性転換しまくるという、ツッコミどころしかない(下ネタ的な意味で)ようなエロゲー。
やはり、なにわともあれ、「親友ENDの向こう側」に達した銀聖シナリオが一番でしょう。親友であるところの銀聖が女に性転換して主人公と結婚して子供作っちゃうんだぜ……!
この素晴らしさは他のゲームでも採用したらいいと思うよ。春原や寺の子やかーくんや恭介と結婚させてくれ……!(なんかもう自分でも何言ってんだか分かんないぜ!)
レビューにも書きましたが、主人公=プレイヤーという、(一応保留つきで)当たり前にある図式を、このゲームは少し・そして決定的に外してるんですね。プレイヤーは主人公を「動かすもの」であり、たとえばあるENDではそのことに対して主人公が文句を付けてきてたり。「ボクがエロいんじゃなくて、プレイヤーの人がエロくてそんな選択肢選ぶからこういう風になったんだー!」みたいな感じに。でも、主人公くんはそれ(そのエロい状況)を十分に楽しんでいる――プレイヤーよりも”感じている”――のであって、じゃあプレイヤーはまんまと、主人公の享楽の言い訳になってしまうわけです。これがある種、倒錯的で面白い。……いや、フラストレーション溜まるといえば溜まるけど。
発売日に買いながら、色々あってプレイできなかった=プレイする覚悟が決まらなかった智アフを、ようやくプレイ。
しかし、悲劇とか悲惨とかそういう意味じゃなくて、別の意味で残酷なゲームだったなぁ。4年前に感じた直感は正しかった。やっぱりこのゲームに逃げ道なんてなかった。
とにもかくにも「永遠」なのだ・なりうるのだ。逃げ道も言い訳も、突き詰めれば通用しない。そんなわけなので、智代さんが言ってることはいやになるほど重過ぎたりしますねえ(それ故に、最後の独白は、立ち絵&テキストウインドウではなく、白バックに文字でなくてはならなかった=そうでなければ茶番になってしまうのだが)。嫌になるほどっていうか、残酷なくらい。その射程と深度は、酷過ぎる。
CLANNADにおいて「何故アフターの2周目(渚が死ななかったルート)が用意されてなくてはならなかったか・そしてそれがそのままエンディングに繋がるのか?」という問いは、そのまま、CLANNAD冒頭の朋也の「問い」に対する答えとなっているでしょう。
次の楽しいこととか嬉しいこととかは見つかるか、といえば「見つかる」。実際に作中でそうでしょう。渚も、朋也も、何か楽しいことを失っても、次の・別の楽しいことを見つけることが出来た。何か大事なものを失っても、次の・別の大事なモノを見つけることが出来た。
次の・別のものを見つけることが出来る。失いながらも先に進んでいくことができるわけです。
しかし、そこでは本当に失われている。渚も汐も死んだ、ではどうなるかというと、それは(その二人は)失われてしまう、ということ。だからこそ、最後は「死ななかった」話に移行する必要があったのです。
つまり、死んだ後は、それは終わりになって、「次の」に移行する――失われてしまうから、渚・汐との幸せは、永遠に失われてしまうからこそ、「次の」に至らない、「次の」の前のもの(つまり死なない世界)を示さなければ、渚・汐との幸せは描けなかったのだ。朋也における、渚と汐との間の彼の幸せは、渚と汐が死んでは達成不可能だ(だから最後、死なない世界に至らなければならなかった)というのが『CLANNAD』です。
次の楽しいこととか嬉しいこととかは、見つけられる。人は大切なナニカを失っても、前に進んでいくことが出来るし、そこで新たな大切なナニカを見つけることが出来る(というか、人生というのはそれの繰り返しでしかなく、だからこそ、アフター1周目ラストは、汐が失われたところまでで終わった。あれ以上描いても、結局は同じことの繰り返しでしかないから)。―――けれど当然、そこでは、「次の」の前のモノは、想い出の中とか記憶の中以外からは、失われてしまっている。
対して『智代アフター』は、(ひどく大雑把に喩えれば)渚も汐も失われなかった世界に至ることがない『CLANNAD』。故に、CLANNAD冒頭の朋也の問いに対する解答は、CLANNADと真逆になる。失われない、というのが答えになる。つまり。”失われたものは「ここ(そこ)にはない」というだけで、永遠に「ある」”。
ここになくても続いていける。なにもかも、変わらずにはいられないけれど、実は、”なにも変わっていない”。だからそもそも、CLANNAD冒頭の問い自体が起こらないとも言えるのですが。まったくそれは残酷なまでの深度と射程で、だからこそ、人生の宝物になのである。
実は初丸戸なんですが、これはあんまり自分には合いませんでした。序盤は面白かったんですが。丸戸さんの評判としては、NG恋よりもこんにゃくやパルフェ・ショコラの方をよく耳にしますので、そのうちソッチをプレイしてみたいなー、とか。その前にホワルバ2に手を出すことになりそうだけど。
再プレイ。やはり傑作だなー、と。言いたいことは……というか、言語化できることはだいたい全部レビューの方に書いたのでそっちを。
プレイしてから時間が経てば経つほど面白くなる(思い出補正が強烈になる)ゲームってありますけど、これはプレイしていた時も面白かったけど、時間が経ち今になるとさらに面白いなーと思える一品。記憶喪失という「浮遊」と、 what are little girl made of という「空虚な中心」、このさりげなく配置された二点が肝として機能しているのが素晴らしい。そういうのがなかったから、恋ンチカは二流だったわけですねー(暴言)。これもレビューにだいたい全部書ききったんで、そっちを。
あと書いてない中では、音楽がもの凄く良いってのもありました。今年自分がプレイした中では1・2を争う感じです。
うーんと、レビューを随分と長いもの書いたので、これもレビュー参照で。てゆうか「レビュー参照」って書くと、ここに書くことがなくなるなw
何に対しても言えますし、当たり前のことですが、「どうせいつか終わりが来る」、だからこそ「楽しくなくてはいけない」。終わるまでは――せめて祭りの間は、楽しくあろうと。そう捉えることが出来て、そしてだからこそ、本作はタカヒロにしか書けないんじゃないでしょーか。
2009年の「なにそのデザインw と言わざるをえない制服デザインなエロゲ・オブザイヤー」は明らかにナツユメナギサで決まりでしょう。……つーか、なんつーか。凄いとしか言えないというか。その露出の多さもヤバイし、ハートマークの切り抜きとか、もはや神の領域じゃねーかと。
そういう点で勿体無いというか、たとえばシナリオは凄いんですよ。これ「Key」から発売されてても何も驚かない内容だと思うんですけど。Keyあたりが作ってもおかしくないでしょう。……けれど、その、制服をはじめとしたビジュアルデザインがどうかなー、というか。「中堅メーカーが作った、ストーリー重視というわけではない(どちらかというと抜き重視な)萌えゲー」っぽいビジュアルなんすよね。つーかナツユメナギサ自体が、傍目からはまんまそういうゲームなんですけど。ただプレイしてみると違いますというか、あー、本作はネタバレ踏むことによる損失が大きいので、気になる人はネタバレ踏まないように注意しましょう(この記事でネタバレはしてません)。
まあとにかく、個人的には「勿体無い」の一言です。勿体無いゲーム・オブザイヤー。鍵的なところがリメイクとかしたら名作になってもおかしくないんじゃないでしょうか。あとラストシナリオが素晴らしすぎる割に個別シナリオが並っていう問題もある。その辺も含めて、まあ一言でいえば「勿体無い」――ポテンシャルを発揮し切れなかったという意味で――感じでした。
レビューに書いたとおりですね。ある理由により圧倒的な完成度を手に入れたけれども、しかしそれは、ゲームプレイの意義を著しく損なうものであった。以上。これほど虚しいゲームはそうはない。しかしその、ゲームゆえの手の届かない虚しさは、空を仰ぎ見るに似ていて、なるほどそれは「そらいろ」なのだろう。全体の3割しかクリアしなければ幸せな景色のままでいられるでしょう――それは空ではないけれど。
ええと、右の一覧からレビュー見れるので、それで代替。超代替。もしもこの世にシュガスパが存在していなければ、あるいはシュガスパの方が後発だったのなら、普通に良作だったでしょう―――
説明不要ですね。やっぱタカヒロは面白い。ヒロインのトラウマを主人公が解決して~みたいな図式の先の世界に行ってるのが、素晴らしさの一つっすねえ(もちろん他にも素晴らしいところ一杯ありますけど)。なんだかんだいって、キャラクターの(身体的にも精神的にも)超人・奇人・変人っぷりとか、境遇や地位のハチャメチャさを常人レベルに置き換えてみれば、現実にあってもおかしくないようなリアルさがあると思うんですよねー。つーか恋人のトラウマを俺が解決なんてことの方が、現実にまず在り得ないわけなんですけど(笑)。まあタカヒロさんに関しては、そのうちなんかまとめたの書きたいっす。
あ~あ~あ~あ~あ~……。主題歌は非常に良かったです。終わり。
パッチ出てからやろうかなと思ったらいつまでも出ないのでとりあえず10月くらいにやってみたら、年明けた今でもまだパッチ出てないとか、まあなんというか皆さんお疲れ様です。
初トノイケなんですが、いつもこんな感じなんですかね? 正直重いというか、ドロドロしすぎというか。優しすぎて胡散臭いという段階を超えて、というか、それで「閉じ込めて」しまっている。主人公くんが転校早々、教室での席が(絵理香とか)知ってる人に囲まれて、逃げられないように包囲されているみたいだと語っていましたが、まさにそんな感じ。包囲されている――というか閉じ込められている。これ自体が巨大なリハビリ施設のよう。まじこえー。逃げ道も言い訳も通じなそうでまじこえーというか。耐えられないことが許されないというか。なんか自分何言ってんのかわけわかんないっすね。まあいつものことなんすけど。
レビュー参照で。あっちに全部書きました。普通に出来の良い萌えゲーなんですけど、ちょっとした工夫が凝らしてある……とも言えなくない、と思う(自分でも妄想的だよなーと思うけど、別にイイヨネ!)。
まあ普通……なんですけど、その割には3日でクリアしちゃうくらい面白かったというか、いや、心地よくすいすいテキストを読み進められるというか。そんな感じで、あとはお決まりのレビュー参照で。
なりそこねオブザイヤー2009の最有力候補……というかこの子で決まりでしょう。手を広げすぎて上手く纏められなったというより、上手く纏めようのないテーマに手を出しすぎてしまったというか。「おとぎ話」理論を用いれば全てにケリが付いてしまうので、たとえば「コミュニティ」とか「それでも」といったところが纏め切れなかった(相反してた)という感じです。
今年ボクがプレイした中では一番か二番目に好きなゲームです。特にですね、クリアしてから時間が経ってくるとより評価が上がるというか。紅緒さんシナリオとか、最初やった時は「ふーん」って感じでしたけど、全部終わったあとにもう一度やると全然違うんですよね。単純に言えば紅緒――暁人が、ラストシナリオにおける暁人――カゴメの対になってたりするんですけど。
『コミュ』については、ウルトラ長いレビューを書きましたので、それを参照ということで。あれ書くのに何時間かけたか分からないぜ……!
ということで、あと「ましろ色」とか「G線」とか「村正」とか、えーとまた明日くらいに続きます。
くるくるく~る
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やはり、なにわともあれ、「親友ENDの向こう側」に達した銀聖シナリオが一番でしょう。親友であるところの銀聖が女に性転換して主人公と結婚して子供作っちゃうんだぜ……!
この素晴らしさは他のゲームでも採用したらいいと思うよ。春原や寺の子やかーくんや恭介と結婚させてくれ……!(なんかもう自分でも何言ってんだか分かんないぜ!)
レビューにも書きましたが、主人公=プレイヤーという、(一応保留つきで)当たり前にある図式を、このゲームは少し・そして決定的に外してるんですね。プレイヤーは主人公を「動かすもの」であり、たとえばあるENDではそのことに対して主人公が文句を付けてきてたり。「ボクがエロいんじゃなくて、プレイヤーの人がエロくてそんな選択肢選ぶからこういう風になったんだー!」みたいな感じに。でも、主人公くんはそれ(そのエロい状況)を十分に楽しんでいる――プレイヤーよりも”感じている”――のであって、じゃあプレイヤーはまんまと、主人公の享楽の言い訳になってしまうわけです。これがある種、倒錯的で面白い。……いや、フラストレーション溜まるといえば溜まるけど。
智代アフター
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しかし、悲劇とか悲惨とかそういう意味じゃなくて、別の意味で残酷なゲームだったなぁ。4年前に感じた直感は正しかった。やっぱりこのゲームに逃げ道なんてなかった。
とにもかくにも「永遠」なのだ・なりうるのだ。逃げ道も言い訳も、突き詰めれば通用しない。そんなわけなので、智代さんが言ってることはいやになるほど重過ぎたりしますねえ(それ故に、最後の独白は、立ち絵&テキストウインドウではなく、白バックに文字でなくてはならなかった=そうでなければ茶番になってしまうのだが)。嫌になるほどっていうか、残酷なくらい。その射程と深度は、酷過ぎる。
CLANNADにおいて「何故アフターの2周目(渚が死ななかったルート)が用意されてなくてはならなかったか・そしてそれがそのままエンディングに繋がるのか?」という問いは、そのまま、CLANNAD冒頭の朋也の「問い」に対する答えとなっているでしょう。
「この学校は好きですか? ――でも、なにもかも、変わらずにはいられないです ――それでも、好きでいられますか?」
「見つければいいだけだろ」
「次の楽しいこととか嬉しいこととか、見つければいいだけだろ」
次の楽しいこととか嬉しいこととかは見つかるか、といえば「見つかる」。実際に作中でそうでしょう。渚も、朋也も、何か楽しいことを失っても、次の・別の楽しいことを見つけることが出来た。何か大事なものを失っても、次の・別の大事なモノを見つけることが出来た。
次の・別のものを見つけることが出来る。失いながらも先に進んでいくことができるわけです。
しかし、そこでは本当に失われている。渚も汐も死んだ、ではどうなるかというと、それは(その二人は)失われてしまう、ということ。だからこそ、最後は「死ななかった」話に移行する必要があったのです。
つまり、死んだ後は、それは終わりになって、「次の」に移行する――失われてしまうから、渚・汐との幸せは、永遠に失われてしまうからこそ、「次の」に至らない、「次の」の前のもの(つまり死なない世界)を示さなければ、渚・汐との幸せは描けなかったのだ。朋也における、渚と汐との間の彼の幸せは、渚と汐が死んでは達成不可能だ(だから最後、死なない世界に至らなければならなかった)というのが『CLANNAD』です。
次の楽しいこととか嬉しいこととかは、見つけられる。人は大切なナニカを失っても、前に進んでいくことが出来るし、そこで新たな大切なナニカを見つけることが出来る(というか、人生というのはそれの繰り返しでしかなく、だからこそ、アフター1周目ラストは、汐が失われたところまでで終わった。あれ以上描いても、結局は同じことの繰り返しでしかないから)。―――けれど当然、そこでは、「次の」の前のモノは、想い出の中とか記憶の中以外からは、失われてしまっている。
対して『智代アフター』は、(ひどく大雑把に喩えれば)渚も汐も失われなかった世界に至ることがない『CLANNAD』。故に、CLANNAD冒頭の朋也の問いに対する解答は、CLANNADと真逆になる。失われない、というのが答えになる。つまり。”失われたものは「ここ(そこ)にはない」というだけで、永遠に「ある」”。
「でも…今日、ようやく…」
「ようやく、おまえは私に好きと言ってくれた…」
「それは、この三年間で初めてのことなんだ…」
「それでわかった」
「私たちの愛は続いている」
「今も」
ここになくても続いていける。なにもかも、変わらずにはいられないけれど、実は、”なにも変わっていない”。だからそもそも、CLANNAD冒頭の問い自体が起こらないとも言えるのですが。まったくそれは残酷なまでの深度と射程で、だからこそ、人生の宝物になのである。
世界でいちばんNGな恋
実は初丸戸なんですが、これはあんまり自分には合いませんでした。序盤は面白かったんですが。丸戸さんの評判としては、NG恋よりもこんにゃくやパルフェ・ショコラの方をよく耳にしますので、そのうちソッチをプレイしてみたいなー、とか。その前にホワルバ2に手を出すことになりそうだけど。
キラ☆キラ
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あと書いてない中では、音楽がもの凄く良いってのもありました。今年自分がプレイした中では1・2を争う感じです。
真剣で私に恋しなさい!
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何に対しても言えますし、当たり前のことですが、「どうせいつか終わりが来る」、だからこそ「楽しくなくてはいけない」。終わるまでは――せめて祭りの間は、楽しくあろうと。そう捉えることが出来て、そしてだからこそ、本作はタカヒロにしか書けないんじゃないでしょーか。
ナツユメナギサ
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そういう点で勿体無いというか、たとえばシナリオは凄いんですよ。これ「Key」から発売されてても何も驚かない内容だと思うんですけど。Keyあたりが作ってもおかしくないでしょう。……けれど、その、制服をはじめとしたビジュアルデザインがどうかなー、というか。「中堅メーカーが作った、ストーリー重視というわけではない(どちらかというと抜き重視な)萌えゲー」っぽいビジュアルなんすよね。つーかナツユメナギサ自体が、傍目からはまんまそういうゲームなんですけど。ただプレイしてみると違いますというか、あー、本作はネタバレ踏むことによる損失が大きいので、気になる人はネタバレ踏まないように注意しましょう(この記事でネタバレはしてません)。
まあとにかく、個人的には「勿体無い」の一言です。勿体無いゲーム・オブザイヤー。鍵的なところがリメイクとかしたら名作になってもおかしくないんじゃないでしょうか。あとラストシナリオが素晴らしすぎる割に個別シナリオが並っていう問題もある。その辺も含めて、まあ一言でいえば「勿体無い」――ポテンシャルを発揮し切れなかったという意味で――感じでした。
そらいろ
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恋文ロマンチカ
ええと、右の一覧からレビュー見れるので、それで代替。超代替。もしもこの世にシュガスパが存在していなければ、あるいはシュガスパの方が後発だったのなら、普通に良作だったでしょう―――
君が主で執事が俺で
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さくらさくら
あ~あ~あ~あ~あ~……。主題歌は非常に良かったです。終わり。
Garden
パッチ出てからやろうかなと思ったらいつまでも出ないのでとりあえず10月くらいにやってみたら、年明けた今でもまだパッチ出てないとか、まあなんというか皆さんお疲れ様です。
初トノイケなんですが、いつもこんな感じなんですかね? 正直重いというか、ドロドロしすぎというか。優しすぎて胡散臭いという段階を超えて、というか、それで「閉じ込めて」しまっている。主人公くんが転校早々、教室での席が(絵理香とか)知ってる人に囲まれて、逃げられないように包囲されているみたいだと語っていましたが、まさにそんな感じ。包囲されている――というか閉じ込められている。これ自体が巨大なリハビリ施設のよう。まじこえー。逃げ道も言い訳も通じなそうでまじこえーというか。耐えられないことが許されないというか。なんか自分何言ってんのかわけわかんないっすね。まあいつものことなんすけど。
スズノネセブン
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Princess Frontier
まあ普通……なんですけど、その割には3日でクリアしちゃうくらい面白かったというか、いや、心地よくすいすいテキストを読み進められるというか。そんな感じで、あとはお決まりのレビュー参照で。
コミュ ―黒い竜と以下略
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今年ボクがプレイした中では一番か二番目に好きなゲームです。特にですね、クリアしてから時間が経ってくるとより評価が上がるというか。紅緒さんシナリオとか、最初やった時は「ふーん」って感じでしたけど、全部終わったあとにもう一度やると全然違うんですよね。単純に言えば紅緒――暁人が、ラストシナリオにおける暁人――カゴメの対になってたりするんですけど。
『コミュ』については、ウルトラ長いレビューを書きましたので、それを参照ということで。あれ書くのに何時間かけたか分からないぜ……!
ということで、あと「ましろ色」とか「G線」とか「村正」とか、えーとまた明日くらいに続きます。
(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-63.html
2010/01/04 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ |コメントを投稿する 記事: 2009年にプレイしたエロゲ その2
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