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スキトキメキトキス ネタバレあり感想

   ↑  2010/01/21 (木)  カテゴリー: 未分類
たてわきさん&長月さんによるフリーゲーム(http://sukitoki.zouri.jp/)。めっちゃ面白かったです。てゆうか素晴らしかったです。心奪われました。とりあえず全ルート3周くらいしてしまいましたが、また時間置いてもう一回(以上)やるでしょう、確実に。
以下ネタバレしまくりです。ネタバレ無しの感想、というか紹介は
http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-70.html
↑こっちに。




「想いが重い」という表現は、よく聞くってほどじゃないけど、皆さん一度や二度は目にしたことがあると思うんですよ。たとえば「想いの重さに押し潰されそう」とか、「○○の想いが、私には重い」とか。現実で目にするというよりは、フィクションで目にする、あるいは自分の内言として目にすることの方が多いでしょうが。
そんな「想いが重い」。
この作品は……というかこの物語の「そもそも」がそれで、故にそれが描かれ続けている。
プレイすると「ヤンデレ」という単語が思い浮かぶかもしれませんが、そもそもヤンデレってのはすべからく「想いの重さ」が原因なんですよね。「想いが重過ぎて病んでしまう」か、「あまりにも想いが重過ぎて普通の人から見たらまるで病んでいるかのよう(本人は「普通」だと思っていても)」か、そのどちらかが殆ど。結局は、その想いの重さに、自分が耐えられないか、世界(=常識)が耐えられないかの、どちらか。
で、上はヤンデレている人の話ですが、じゃあ”それを向けられる人”はどうかというと、そりゃもう相当に苛酷な、極端な、異様な、己の精神を味わうことになる。本作の5つのルートはその変奏でもありました。実際に、どのルートでも、菜穂の「想い=想いの重さ」は殆ど変化していませんが、明菜の「想い」はコインの裏表くらいに簡単に――ちょっとコインに触れれば、裏が表に変わり、表が裏に変わってしまう、それと同じくらい、ほんとうに簡単に変化していく。

ED1は、菜穂の想いの重さに明菜が潰される。それこそ物理的に。 菜穂「あなたは……誰なんですか?」「せんぱいと同じ顔して、せんぱいと同じ声で……せんぱいと違う顔で笑うあなたは……だあれ?」   記憶を失った明菜と、記憶を失う前の明菜は、謂わば「別人」に近いものなんですが、前者の明菜に関しては、その心の風向きをプレイヤーがある程度コントロールしてしまったりしています。だから「あなたは、だあれ?」の返答は、「記憶を失った後のせんぱい」という、それ以前のせんぱいとは顔も声も同じだけど別な人のことなんですけど、そこのうちの何割かはプレイヤーでもあるんですよね。ただこれは(それは)、究極の所では反故にされている構造だけど、それはひとまず措いておくとして。ED1は、もっとも「陥れゲー」だったのではないでしょうか。陥れようとした明菜&プレイヤー連合だけど、菜穂にあっさり敗れてしまった。菜穂の想いは、明菜を簡単に”見抜いていた”。

ED2は、菜穂の想いの重さを受け入れられない己の重さから逃げ出した、けれども菜穂はそれにすら追いついてくる。ED4と分岐的にもそうですけど、内容的にも対の子なお話ですね。 突き落とされた時、私は菜穂に何も言えなかった。何の弁解も出来なかった。……自分にも非があると分かってしまっている人間は弱い。私は……弱い。彼女に対して感じる嫌悪に勝るとも劣らない自己嫌悪を感じる。 / 目に入ったのは、彼女のまあるい目玉……その中に映る……醜悪な私だけ。  /  まあるい目玉が私を見てる。私を断罪する。何もかもを菜穂に擦り付けて、逃げようとした自分が……見える。   菜穂の想いを、中途半端に……悪くいえば「適当に」受け入れてしまい、ゆえにそれを反故してしまうという「非」。それなのに菜穂をワルモノにして嫌悪して不快で嫌がるという――全部見なかったことにして逃げ出すという、醜悪な自分。「菜穂の目」は、ゲーム冒頭にばんっ!と出てくるように特徴的なものでしたけど、それはやっぱ彼女自身を象徴するものでもありました。「大きい目玉」というように、彼女の目はとても大きい、のに、明菜しか見ていない。小さいからじゃなくて”大きいのに”というのが特徴で、イコール「普通だったら他のものも収まるサイズなのに、何故か一つしかそこに収まっていない」という点。これは菜穂の「想いの重さ」を象徴的に表してもいるでしょう。普通なら他のことも考える=視界に入るって当たり前の大きさなのに、ひとつのことしか入らないって、どういう「重さ」なのだ。
だから逆に、その目に(物理的にと象徴的にとふたつの意味で)鏡面のように映される明菜は、それゆえに「自身の醜悪さ」をそこに見てしまわざるをえない。菜穂の想いは、明菜曰く「幼稚な」ほどに直情的で直裁的で直線的なもので、それは中学生女子が高校生女子に向けたからこそ成立するような想いの重さであって、たとえば年齢が変われば環境が変われば性別が変われば、成り立たなくてもおかしくないカゲロウのような危ういものではあるのだけど、しかし菜穂は、それに対し、今の彼女として真剣に真っ直ぐである。なのに明菜は、そうではなく。真っ直ぐでも真剣でもなくて。約束を破り、裏切り。そんな醜悪な自分に向かい合うこともできず、かといってそれを無理矢理にでも打倒することもできず、そして逃げ出した。
では、その醜悪な自分を、無理矢理にでも打倒していたらどうなったか? それがED4。

ED4は、菜穂の想いの重さを受け入れられない己の重さを無理矢理に打倒した場合のお話し。どうやって打倒したかというと、 ありったけの想いを込めて、私は菜穂に笑いかける。”私”を全て彼女が持っていってくれるように祈りながら、私は言葉を吐き出す。  /  もうコインは回らない。この身体は……私のものだ。  つまりまあ、突き落とすということですが。菜穂の真剣で真っ直ぐな重い想いは、それゆえに明菜を縛る鎖となっている。ふたつの意味で。単純に「その想い=彼女の存在自体」と、その想いヘの対応として過去の明菜が取った不義な処理という「負い目=自身の醜悪さ」。それをうっちゃって逃れようとした結果がED2。ではそれを無理矢理にでも打倒した――菜穂を突き落として、彼女と一緒に「過去の(醜悪な)自分=上の引用文中の”私”」も、ここから飛び降りてもらうという一つの儀式――のがED4。つまり殺すことによって、物理的に菜穂という鎖を千切りとって、象徴的に(精神的に)過去という鎖も捨て去ったということ。こうすると、見事に「菜穂」も「醜悪な”私”」も消え去ります。……が。当然これでは全ては消え去らない、というか、新たな鎖が誕生する。それは「突き落としたという事実」。”私”ではない、今の「私」が、突き落とした、殺した、という事実だけは、菜穂を突き落とした時に一緒に死んではくれません。だって時間軸的には逆ですし、そもそも、その事実を殺しちゃったら、菜穂は死んでない=菜穂を突き落としていないということになってしまいますから。
で、結局、「それに追いつかれる」というのがこのED。最後の菜穂が幽霊なのか実は生きていたのかはたまた幻聴なのかは、ぶっちゃけどうでもいい。結局は、「明菜の心は菜穂に追いつかれてしまった」という事実が重要。結局、想いを捨てて殺す、なんてことは、叶わないのですね。そんな簡単には。

ED5は、明菜を悩ませた「醜悪な自分」、ED2では目を逸らし逃げて、ED4では殺そうとした”私”に、きちんと向き合ったらどうなるか、どうか、というお話し。故にそれは、「菜穂の重い想いにきちんと向き合ったら」と同じ意味をもっています。  明菜(だって……不公平でしょう?) 私にばかり菜穂の匂いが染みついているのは。 明菜(今度は……) 私の番。私のことで思い悩んで。気まぐれな私の態度に不安になって。そのまあるい目には私だけ映して。私のことだけ……考えてよね? 明菜(ふふふ、あはははは) そうしたら……きっとしあわせ。  むしろ語るだけ無粋なシナリオでしょうか。ヤンデレというのは、想いの重さに自分が押しつぶされた結果か、世界が押しつぶされた結果でしかない。いずれにせよ確かなのは、「その想いはそれほどまでに重い」ということ。自分から逃げず、過去から逃げず、菜穂から逃げずに、菜穂の重すぎる自分への実直な感情も、明菜の重すぎる菜穂の目に映る自分自身への嫌悪も、全部まとめて受け入れる――その想いは当然「重い」でしょう。なにせ一つ一つでも重いんだから。それを全部引き受けた彼女が、まるで病んでるかのように見えるのは当然の帰結。そこでは自分か世界か、どちらかが潰されている。でもこれしかない。この私が、二人で楽しく笑いあった日々に戻る、唯一の方法は。

ED3は、他4つと比べると最も「危険ではない」でしょうかw もちろん、「思い出すくらいなら大空に飛ぶ(つまり今度は自分から落ちるってことですね)」と明菜さんは心に誓っているくらいだから、危険といえば危険なのですが。菜穂が明菜を甘い匂いで完全に絡め取ったのがこのエンディング。……と言うと、単純化しすぎで失礼でもあります。菜穂が「陥れた」わけなんだけど、でも「陥れられた」明菜さんが、菜穂を傷付けないためなら死をも辞さない覚悟なのは、それは操られコントロールされたものだとしても、彼女の確たる「想い」な訳ですし。だからこそ危険ではありますが。喩えるなら、(かつての)菜穂と同じく、盲目で実直、陽炎のようなものに対し真剣。

途中で潰えるED1を除いた全てのシナリオで、分岐直前のクライマックスとして「階段から落ちる」のを”助けてもらう””引っ張ってもらう””(菜穂が)身を挺して助ける”というイベントが入っていたのが象徴的。これは勿論、教室から”落とした”行為の対象形であるわけですね。故に、新たにはじめる(ED3)にしろ、逃げることを決心する(ED2)にしろ、ブチ壊す(ED4)にしろ、やり直す(ED5)にしろ、それは必要な通過儀礼だった。そういう意味では、記憶を失ってユメで思い出す・取り返すという行為もまた同じ。一度ゼロから構築するために必要な処置だったのです。そうでなくては。この想いに、何らかの決着をつけられない。


全てのENDが良かったのですが、「全てあったこと」がより良かったです。菜穂の想いに対し、迷って悩んで苦しんで、逃げて投げて向かい合って、あるいは戦ったり嫌ったり、はては忘れたり受け入れたり……そういうのを全部書いてくれたこと。
個人的に特に好きなのはED2とED4、というかあの分岐からの、両シナリオの裏表性ですね。片方は絶対的な嫌悪、もう片方は惹かれる気持ちと、ある意味対称的なのに、どっちも、作中で唯二つ、キスをしている。コインの裏表……感情の裏表みたいなものがあったとしても、どちらも、それは「想い」として、しかりと「重い」んでしょうね。前から読もうが後ろから読もうが『スキトキメキトキス』なように、コインの裏と表どちらであろうが、想いが重いことに変わりはない。

ネタバレ無しの方にも書いたのですが、はじめはプレイヤーが二人を陥れているかのようだったのに、次第にプレイヤーが陥れられていく、その所作に嵌ってしまいました。最終的にはボクたちが彼女たちの想いに押し潰される。あるいは、ボクたちの入り込む隙間など微塵もなく、そこから排除されるだけ。その「想いの重さ」に選択肢選択は敗れ、くだらない推測は砕け散り、物語への欲望は下衆なものだと思い知らされる。あいしているのに、にくたらしいほど、とどかない。
つまり、陥れられたのも、捕らえられたのも、ボク自身に他ならない。なのに、そのボク自身は、当然物語世界から排除されているわけで、じゃあここで得た「想い」は、勝手に抱えて勝手に沈没していくしかなかったりします。それがもう、そこまでも最高なのに、さらに最高でした。

なんだか纏まりがない締めですけど、以上終わりですw
プレイしてない人は、是非ともプレイしてみて欲しいです。


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