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2010/01/21 (木) カテゴリー: 未分類
けっこう前についったーで名前つぶやいてる方がいまして、かなり特徴的なタイトルなので覚えていたのですが、いやはや、凄かったです。素晴らしかったです。面白かったです。ヤバかった。「陥れ系」と銘打っていますが、陥れられたのは俺たちプレイヤーでした。(ネタバレありの感想は(http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-69.html)に記しました。この文章には基本的にネタバレ無しというか、物語的なネタバレはだいたい無し)
「想いが重い」という表現は、よく聞くってほどじゃないけど、皆さん一度や二度は目にしたことがあると思うんですよ。たとえば「想いの重さに押し潰されそう」とか、「○○の想いが、私には重い」とか。現実で目にするというよりは、フィクションで目にする、あるいは自分の内言として目にすることの方が多いでしょうか。
そんな「想いが重い」。
この作品は……というかこの物語の「そもそも」がそれで、故にそれが描かれ続けている。
プレイすると「ヤンデレ」という単語が思い浮かぶかもしれませんが、そもそもヤンデレってのは根本的には「想いの重さ」が原因なんですよね。「想いが重過ぎて病んでしまう」か、「あまりにも想いが重過ぎて普通の人から見たらまるで病んでいるかのよう(本人は「普通」だと思っていても)」か、そのどちらかが殆ど。結局は、その想いの重さに、自分が耐えられないか、世界(=常識)が耐えられないかの、どちらか。
で、上はヤンデレている人の話ですが、じゃあ”それを向けられる人”はどうかというと、そりゃもう相当に苛酷な、極端な、異様な、己の精神を味わうことになる。本作の5つのルートはその変奏でもありました。実際に、どのルートでも、菜穂の「想い=想いの重さ」は殆ど変化していませんが、明菜の「想い」はコインの裏表くらいに簡単に――ちょっとコインに触れれば、裏が表に変わり、表が裏に変わってしまう、それと同じくらい、ほんとうに簡単に変化していく。
本作は、選択肢を選んでさまざまな物語内容を見ていくという、ノベル/ADVにおいて一般的なシステムですが、そこに「陥れるか、陥れられるか。2人の攻防戦が今、始まる……」というキャッチコピーが加わることで重みを持った変化が生じています。選べる選択肢(選択肢が登場する場面・そしてその内容)というのは、だいたいが「菜穂(ヤンデリックな子)に対する明菜(主人公)」の心情・感情・スタンス・方針、あるいは菜穂がした/菜穂が絡んだ何かに対する反応だったりして、つまり私たちは明菜の心をある程度ですがコントロールしているわけですね。好きと嫌い、嫌悪と好意という感情のコインの裏表を、私たちの選択がコントロールしている。それをもってして、ある感情とある目標を抱いて明菜に接してくる菜穂に対し、「どちらが陥れるか/陥れられるか」という攻防戦を繰り広げるのが、本作のいちおうの流れ。記憶を失った主人公が、なんとなく感じる「不快感」、プレイヤーはその原因を推測して……周回すればプレイヤーはさらにそれを「知っている」ことになり、それを元に明菜を操り、明菜を介し菜穂をコントロールして、様々な物語を見ていく。―――つまり、陥れてるのは”自分(=プレイヤー)”ということです。明菜が篭絡されるにせよ、菜穂が転落するにせよ、結局のところプレイヤーが最も(唯一)、「そのザマを愉しんでいる」。明菜が丸め込まれちゃおうが、菜穂が裏切られようが、どういう結末に至ろうと、それをまんまと楽しんだプレイヤーが一番「陥れている」と言えるでしょう。
ということで、序盤は彼女たち同士の陥れ合いを、私たちは一段高いところから「さらに操り」、そのザマ=いろいろなお話しを愉しめる……のですけど。
その色合いは徐々に変わっていきます。
自分の直感を信じさせてもらえなかったり、あんまりにも揺れ動きすぎる心に、自分自身すら信じられなくなったりする明菜。まあそれら全部、プレイヤーの「選択」の所為であって、選択肢の度に直感否定したり、さっきまでとは逆のことを彼女に「考えさせたり」する所為なんですけど。次第に、そんなプレイヤーに振り回される明菜がカワイソウになってくる。さらに、物語を進めていき、『不快感』の元となる出来事、菜穂の「重い想い」を知ってしまえば知ってしまうほど、逆に選択が難しくなってくる。色んな物語・展開を見たいという欲望で、そんな簡単に、彼女の心を操り、彼女の想いをコントロールするなんて、はたして、「その想い」に対して、不義ではないか。「その想い」を尊重したままで、それでも物語を見たい欲望をまっとうするには、どうするか?
極端な話、明菜=プレイヤーの傀儡、菜穂=シナリオ・システムの傀儡のように捉えられた序盤から、次第に二人のその状況自体に憐憫の情が湧いてきて、そんなことしてて気づいたらなんか明菜が自分のコントロール=選択肢選択から逸れた感情を平気で持つようになっていって――そう、こっちが明菜をコントロールしていたと思ったら、実はしきれていないで、次第に、プレイヤーの方が、彼女達に「振り回されるように」なってくる。(ENDによっては難易度がかなり高い=なかなかそこに辿り着けないのと相まって)
つまり、プレイヤーもまた、陥れられている。その「想いの重さ」に選択肢選択は敗れ、くだらない推測は砕け散り、物語への欲望は下衆なものだと思い知らされる。あいしているのに、にくたらしいほど、こっぱみじん。
これ以上のことと細かいことは、是非ともプレイして、みなさんそれぞれ感じ取ってください。フリーだから無料とはいえ、文章、絵、システム、細かいビジュアルデザイン、どれも商業作品に見劣りしません(てゆうか、これで声とか付いてたら、区別つかないのではないだろうか)。もちろん、話・テキスト・このプレイ感覚、それらはそんじょそこらの商業作品なんか敵じゃねえ!ってくらい優れています。いやもう全ルート3周くらいプレイしちゃいましたし。当然、時間おいてからまたやるつもりですw
フリーなので、ぜひぜひプレイして、そして陥れ、陥れられてみてください。

http://sukitoki.zouri.jp/(「スキトキメキトキス」サイトさま)
フリーの百合系アドベンチャーゲームです(http://sukitoki.zouri.jp/)。「百合」「陥れ」「ヤンデレ」というキーワードにピンと来る方は是非……という内容でもあるのですが、それに全然ピンと来ない方でも問題なく大丈夫です。そもそもボク自身が百合もヤンデレも特に興味ありませんし。でも大好きです、最高でした。『あいしています でもにくたらしいんです』
病院で目覚めた主人公、明菜。そこに現れたのは菜穂と名乗る美少女。
姉妹のように仲良しだったという2人。
しかし記憶を失った明菜が最初に感じたものは……『不快感』
裏切り、別離、2人だけの約束……
記憶の糸の示す先にあるものは一体なんなのか。
彼女の笑顔の裏にある真実とは。
陥れるか、陥れられるか。2人の攻防戦が今、始まる……
【「スキトキメキトキス」ファイルの「readme.txt」に記されていたあらすじ】
「想いが重い」という表現は、よく聞くってほどじゃないけど、皆さん一度や二度は目にしたことがあると思うんですよ。たとえば「想いの重さに押し潰されそう」とか、「○○の想いが、私には重い」とか。現実で目にするというよりは、フィクションで目にする、あるいは自分の内言として目にすることの方が多いでしょうか。
そんな「想いが重い」。
この作品は……というかこの物語の「そもそも」がそれで、故にそれが描かれ続けている。
プレイすると「ヤンデレ」という単語が思い浮かぶかもしれませんが、そもそもヤンデレってのは根本的には「想いの重さ」が原因なんですよね。「想いが重過ぎて病んでしまう」か、「あまりにも想いが重過ぎて普通の人から見たらまるで病んでいるかのよう(本人は「普通」だと思っていても)」か、そのどちらかが殆ど。結局は、その想いの重さに、自分が耐えられないか、世界(=常識)が耐えられないかの、どちらか。
で、上はヤンデレている人の話ですが、じゃあ”それを向けられる人”はどうかというと、そりゃもう相当に苛酷な、極端な、異様な、己の精神を味わうことになる。本作の5つのルートはその変奏でもありました。実際に、どのルートでも、菜穂の「想い=想いの重さ」は殆ど変化していませんが、明菜の「想い」はコインの裏表くらいに簡単に――ちょっとコインに触れれば、裏が表に変わり、表が裏に変わってしまう、それと同じくらい、ほんとうに簡単に変化していく。
本作は、選択肢を選んでさまざまな物語内容を見ていくという、ノベル/ADVにおいて一般的なシステムですが、そこに「陥れるか、陥れられるか。2人の攻防戦が今、始まる……」というキャッチコピーが加わることで重みを持った変化が生じています。選べる選択肢(選択肢が登場する場面・そしてその内容)というのは、だいたいが「菜穂(ヤンデリックな子)に対する明菜(主人公)」の心情・感情・スタンス・方針、あるいは菜穂がした/菜穂が絡んだ何かに対する反応だったりして、つまり私たちは明菜の心をある程度ですがコントロールしているわけですね。好きと嫌い、嫌悪と好意という感情のコインの裏表を、私たちの選択がコントロールしている。それをもってして、ある感情とある目標を抱いて明菜に接してくる菜穂に対し、「どちらが陥れるか/陥れられるか」という攻防戦を繰り広げるのが、本作のいちおうの流れ。記憶を失った主人公が、なんとなく感じる「不快感」、プレイヤーはその原因を推測して……周回すればプレイヤーはさらにそれを「知っている」ことになり、それを元に明菜を操り、明菜を介し菜穂をコントロールして、様々な物語を見ていく。―――つまり、陥れてるのは”自分(=プレイヤー)”ということです。明菜が篭絡されるにせよ、菜穂が転落するにせよ、結局のところプレイヤーが最も(唯一)、「そのザマを愉しんでいる」。明菜が丸め込まれちゃおうが、菜穂が裏切られようが、どういう結末に至ろうと、それをまんまと楽しんだプレイヤーが一番「陥れている」と言えるでしょう。
ということで、序盤は彼女たち同士の陥れ合いを、私たちは一段高いところから「さらに操り」、そのザマ=いろいろなお話しを愉しめる……のですけど。
その色合いは徐々に変わっていきます。
自分の直感を信じさせてもらえなかったり、あんまりにも揺れ動きすぎる心に、自分自身すら信じられなくなったりする明菜。まあそれら全部、プレイヤーの「選択」の所為であって、選択肢の度に直感否定したり、さっきまでとは逆のことを彼女に「考えさせたり」する所為なんですけど。次第に、そんなプレイヤーに振り回される明菜がカワイソウになってくる。さらに、物語を進めていき、『不快感』の元となる出来事、菜穂の「重い想い」を知ってしまえば知ってしまうほど、逆に選択が難しくなってくる。色んな物語・展開を見たいという欲望で、そんな簡単に、彼女の心を操り、彼女の想いをコントロールするなんて、はたして、「その想い」に対して、不義ではないか。「その想い」を尊重したままで、それでも物語を見たい欲望をまっとうするには、どうするか?
極端な話、明菜=プレイヤーの傀儡、菜穂=シナリオ・システムの傀儡のように捉えられた序盤から、次第に二人のその状況自体に憐憫の情が湧いてきて、そんなことしてて気づいたらなんか明菜が自分のコントロール=選択肢選択から逸れた感情を平気で持つようになっていって――そう、こっちが明菜をコントロールしていたと思ったら、実はしきれていないで、次第に、プレイヤーの方が、彼女達に「振り回されるように」なってくる。(ENDによっては難易度がかなり高い=なかなかそこに辿り着けないのと相まって)
つまり、プレイヤーもまた、陥れられている。その「想いの重さ」に選択肢選択は敗れ、くだらない推測は砕け散り、物語への欲望は下衆なものだと思い知らされる。あいしているのに、にくたらしいほど、こっぱみじん。
これ以上のことと細かいことは、是非ともプレイして、みなさんそれぞれ感じ取ってください。フリーだから無料とはいえ、文章、絵、システム、細かいビジュアルデザイン、どれも商業作品に見劣りしません(てゆうか、これで声とか付いてたら、区別つかないのではないだろうか)。もちろん、話・テキスト・このプレイ感覚、それらはそんじょそこらの商業作品なんか敵じゃねえ!ってくらい優れています。いやもう全ルート3周くらいプレイしちゃいましたし。当然、時間おいてからまたやるつもりですw
フリーなので、ぜひぜひプレイして、そして陥れ、陥れられてみてください。

http://sukitoki.zouri.jp/(「スキトキメキトキス」サイトさま)
(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-70.html
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