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なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO 

response to the indivisible remainder――『花と乙女に祝福を ロイヤルブーケ』

   ↑  2010/02/01 (月)  カテゴリー: 未分類

花と乙女に祝福を ロイヤルブーケ 通常版花と乙女に祝福を ロイヤルブーケ 通常版
(2010/01/29)
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え~、わたしは「花と乙女に祝福を」が大好きなので、ロイヤルブーケも最高でした! これでも……この内容でも……(含意を読み取って欲しい感)

えっと、内容は超短く、話もまあなんというか基本的にはそう重要でもない日常の一シーン的な(本編の「おまけ」に収録されてても違和感ない的な)ものが殆どで、そして晶子とすげーイチャイチャしながら晶子と恋人関係になったりエッチしたりできないという生殺しに僕はもう……! 2chスレのフラゲ情報で「妹攻略不可&Hなし」が判明した時の住人のファビョりっぷりに「ちげーよ、妹が攻略できたら花乙女は台無しになるんだよ」と余裕こいてたわたしですが、いざプレイしてみると……。なんという生殺し感! 晶子が可愛くて生きてるのが辛いゆえに、この生殺しがキツイ! 別に主人公が晶子の相手にならなくてもいい、相手は田代とかハンカチ拾った公僕とかでもいい、ときめいてる晶子やあたふたしている晶子が本当に可愛かったから、輝いていたから。恋愛している、輝いている晶子が見たいだけなんだ……!
うぎゃああーーー!

と、ちょっと取り乱したりもしたんですが、よく考えたら、「好きなキャラの・恋愛している姿を見たいキャラのシナリオが無いのって、おあずけというか焦らされてるみたいで逆に興奮しない?」という結論に至りました。シナリオがあれば最善だったかもしれないけど、シナリオ無しも次善としては悪くない。これはこれで興奮するので、これはこれでよし。同様の理由で、個人的に好きな一年生コンビの出番があんまり無いのも、これはこれでよし。興奮するから。ポジティブシンキングだよ、やったね!

以下軽くネタバレ。や、ネタバレても問題ない作品といえば問題ないですけど。

さて、本編は、わたしとしては「晶子=彰(女装した彰のこと、以下このように表記)に萌える」というのが一番のセールスポイントだったのですが、しかし本編のアフターストーリーしか収録していないこのFDではどうだろう、晶子=彰が女装バレないかあたふたするのや、晶子らしく・女の子らしく生きていくために折り合いつけてるところとか、ヒロインたちとの会話で天然地雷を踏んだりするのや、結局バレてしまった女装を女の子たちがどう受け入れるのか・受け入れないのか、そういうところが一番面白かったのですが、「後日談」なのだから基本的に「女装」が排除されている(つまり晶子=彰が排除されている)このロイヤルブーケは、はたして、どうなのだろうか……という不安を抱いていたのですが。晶子=彰に代わるもの、存在しました。

晶子=彰(女装彰)萌えから、彰萌えへ


いや女装している男の子に「萌え」というならまだギリギリありかもしれないけど、女装してすらいない男の子に「萌え」とか言いだしたらお前終わりだろと思うかもしれないだがちょっと待って欲しい。
もともと、女装していた晶子=彰も、女装していない彰も、同一人物なのだ。
たしかに彰は男の子だ、しかし(アフターストーリーゆえ)女装していたとき=晶子だったときの残滓は残っている。いやむしろ、己の中の「晶子性」を引き出したのが、本編最中の晶子=彰だったと言えるでしょう。そう考えれば、女装していた彰さんに萌えていたわたしたちは、女装していない彰さんに萌えても、なんらおかしくはない!
わたしは上から順番にシナリオをプレイしていったのですが、その方が感じやすいかもしれないですね。一番最初の都さん編で、兄さんのその性格・内面が描かれる。そもそも思い返してみれば、本編において「彰さん」はロクに描かれていなかった。シナリオ中で描かれる彰さんは晶子に片足以上浸かった状態ばかりで、晶子という楔が取れた彰さんは、シナリオの最後の部分でようやく少々描かれるだけ。それでは、彼がどんな人間か分からない。彼と晶子だった彼との間にどのような隔たりがあるのか、差異があるのか、その究極的なところは理解できない。綾音さん編において、彼女が「周りの人間は本当の自分を見てくれない。”綾音”を見ているだけ」と心情をもらしたように。わたしたちだって、本当の彰を見ていない。”晶子”を見ているだけ―――そんな状態で、晶子(に女装している彰)に、カワイイ、萌え、なんて言ったところでどうだというのだろう。何を見て言ってるんだ、何を見て感じてるんだ。それこそ、綾音さんシナリオのように、わたしたちが本当に晶子=彰萌えと語るならば、彰さんを見なくてはいけないんだ! ……というのが実はこのFDの内容なんじゃないかなーとか思ってたりするのですが、それはまあひとまず措いといて。
都さん編では彰さんの内面が(それまでに比べれば)存分に語られます。そしてちょこっとある女装で、「結局女装してそれを肴にイチャイチャしてりゃそれだけ最高だよ!」と再確認したり。続く晶子編では、まああんだけ可愛く輝いてる晶子のさらなる輝きを見れないとか残念すぎるだろーという話でもありますが、それは措いといて、ここで兄さんの晶子好き好きっぷりなどのさらなる内面が提示されます。相変らず晶子が大好きだから晶子に頭上がらない兄さんは最高、という話でもありますね。晶子が大好きで故に晶子に頭が上がらないというのは、まったくもって本編の時の兄さんと同じであって、しかしここで「下心」的な、「恋心」的な、そういう方面も含んだ妹溺愛兄さんであったことが判明。どんだけ晶子好きなんだよ兄さんw――と失笑するほどではありましたが、それは同時に俺らの鏡面でもありました。そんな兄さんが、晶子に振り回されたり、ドギマギさせられたりする、それはそれで非常に楽しい。つーか晶子に「もしかして本気で私のこと好きなんですか? シスコンも度を超えると病気ですよ?」と罵られることすら楽しいっ!

……さっきから書いてることが支離滅裂かもしれませんがw、いやもう兄さんが弄られてる場面はニヤニヤが止まらない感じで。結局のところ、女装晶子は彰で、彰は女装晶子だったのだ、両者はただ見え方が違うだけで。それが明らかになるほどに、この「萌える兄さん」を推して来てたのです。
そして、ソレは、当然、もちろん、三番目のシナリオ、「彰・漢化計画」で極まっている。
そもそも彰と晶子の見た目上の差異なんて、髪の毛の長さと、ついてるかついてないか(晶子自身も言ってたけど)くらいしかなくて、外見上はほぼ同じ。外見上は、彰はほぼ女の子。ではそんな彰が、女の子っぽい仕草や言葉使い、思考回路を有してたら……?

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ここでの晶子と同じく、「なに……この可愛い生き物は……っ?」となるに決まってる!いや、そうならざるを得ない! 男の娘というのは、外見が女の子だから男の娘なのではない、存在が男の娘だから男の娘なのだ……!

女装晶子は失われたが、しかし代わりに「彰」という「男の娘」が立ち現れる……それこそがロイヤルブーケである。男の子は誰だって、心の中に男の娘を飼ってるんだから……!(もう書いてる自分でも意味ワカラン)

プレイしてみれば分かる、プレイしてみれば話は早い。あ、ちなみにプレイしても分からなかったら、多分ロイブーは残念な結果に終わってしまうかと。そのくらいここが重要。
彰の着替えを色々と用意しているところで、最後に薫さまがスク水やナース服を出してくるけど、それに着替えるのを渋る彰に対する、薫さま・志鶴さんの発言。

薫 「えー、着ようよ。彰ちゃん」
志鶴 「そうですよ、せっかくですから! これはこれで、見てみたいです」

ここでプレイヤーも「着ようよ」と思ったらロイブーの勝ちである!
あるいは、 彰 「というか、オレそんなに可愛くないしっ!」 と彼が叫び、それに対し晶子・聖佳・薫・志鶴が 4人「それはない」 とハモった場面。そこでプレイヤーも「それはない」と5人目のハモリをみせたら、ロイブーの勝ちである!

――ということで、このFDは、実は「彰押し」のFDじゃないかと思うんすよ。晶子=彰萌えだった本編から、彰萌えになる――というか、もともと両者は同じなのだから、そこが上手く統合されるのが、このFD。それは綾音さんシナリオの内容と接続されて、さらに繋げれば、本編において最も重要だった(と個人的に思っている)起源・残余とも接続される。いくら女装しても、いくら他人になっても、誰も自分からは逃げられない。いくら心が女でも、いくら仕草が女でも、肉体が男であることからは逃れられない。起源は存在し、永遠に纏わりつくのだ。
それに対する、ひとつの解答。

対・仮想化しきれない残余


かつて花と乙女に祝福を本編の感想でわたしが注目したのが、仮想化しきれない残余。物事には全てはじまりがある、起源がある。たとえ擬装や擬態をしても、誰もそこからは逃れられない。たとえば、自分が犬や猫のふりをどんだけ上手にこなしても、人間であるという”そもそも”から逃れられない。今からアメリカに移って20年住もうと、日本人であるという起源からは逃れられない。女の子のような外見と内面を持っている男の子が女の子のように振舞っても、そもそも男の子であるという残余からは逃れられない。誰も自分からは逃れられず、いつかそれと向き合うことになる。たとえばそれは、起源に潰されるのかもしれない。どんだけ自分を犬や猫だと思っても、人間であるという起源に勝つ方法は現在のところ恐らく存在しないだろう。たとえばそれは、起源を塗り替えるかもしれない。長年外国に住んでれば、その国に帰化してそもそもの起源=国籍を新たに書き連ねることは可能だ。
では、『花と乙女に祝福を』の場合は?
本編においては、いつか起源に追いつかれて終わるというのが主人公にもプレイヤーにも明白で、その上で主人公はそれを(現在の仮想化を)まっとうする、というものでした。しかしそれでも、その仮想の中で得られるものもある――それはそれで現実なのだから、という結論。起源は妹のため、仮想化は晶子化(女装)、得られるものはヒロイン(彼女として・友達として)。まあ詳しいことは当時の感想を見ていただくとして。

では『ロイヤルブーケ』においてはどうか。その答えは二つ、いや三……用意されています。まず綾音さんの仮想化しきれない残余。心も女性で精神も女性で仕草も女性で思考も女性であっても、身体が女性ではないという起源はどうしても消え去らない。それは――その「女性ではない」という起源は、そうであるがゆえに摩擦を起こし自身の「女性」である部分全てを苦しめ、千里との関係でも自身を苦しめている。
もう限界だった。
本当は気丈に振る舞い、自分の身体をひた隠す生活から抜け出したかった。
周りの人間は本当の自分を見てくれない。”綾音”を見ているだけ。
好きな人にさえ、私は見てもらえないんだ。
そんな悲しい人生、いやだ。
誰か私を見て……お願い! 見てよっ!! お願いだからっ!!
それに対する解答は何だったかというと、「それと向き合うこと」。千里に受け入れて欲しいし、受け入れてくれたら嬉しいけれど、それよりも「このままでいる」自分に嫌気がさした――限界をきたした(=起源に追いつかれた/ギリギリ追いつかれてない、と言えるかも)のが真実。それを受け入れるかどうかは千里の解答であって、綾音の解答とは別。彼女の解答は、己と向き合うこと。消し去れない起源から逃げ続けても、逃げ切れるワケがない――いや、逃げ切れるとしても、ナニカを手にすることはできない(この場合、恋を)。だから向き合う、戦う。たとえそれが、仮想化の時間の全て(=千里との時間の全て)を失うかもしれなくても。

そして彰さんの仮想化しきれない残余。これは聖佳さま編(彰・漢化計画)における話ですが、つか軽く上の方にも書きましたが、このシナリオで議題となっていたのは彼の「女の子っぽさ」ですね。彰さんが非常に女の子っぽい、つうか女装してないだけの男の娘じゃね、と問えば確かにそうでしょう。実際にそうで、そのことで軋轢が生じた。それを決定的に解決した決め手はなんだったかというと、それもまた「そもそもの起源」の部分。このシナリオの最後の方で、本当の自分を見てくれないと怒った(綾音さんと似ている!)彰さんは、聖佳さんを怒ろうとして(怒って)、泣いて逃げちゃった、そして探されて追いかけられるという、まるで女の子みたいな行動、まるで男女逆転したかのような行動が起こります。しかしだからといって、聖佳さまが男の子役、彰さんが女の子役に収まるのではなく、最終的にはきちんと彰さんが男の子役(彼氏役)に収まっているんですね。つまり女の子っぽい言動などに塗り替えられることなく、象徴的位置として彰さんは彼氏ポジションに居続けられたということです。そして、それを決定的に、聖佳さまが位置づける――保証する場面がありますね。
聖佳 「彰さんはね、とっても漢らしいわ。私が保証してあげる」
彰 「……はい?」
オレが、漢らしい?
聖佳 「あんなに何度も出して、激しくするんだから……っ。漢らし過ぎるくらいよ……」
えーと、上に書いた彰さんが泣いて逃げてどうこう~って後にふたりがHして、それを踏まえて聖佳さまが言った一言、というお話です。つまり肉体性、身体性。つまり、まあ、彰さんがどんなに女の子っぽい言動してても、アレが付いてる男の子だ、というお話しでして―――
その部分は拭いきれない。もちろん聖佳さまにとって象徴的に彰さんが男の子だという点もあるけど、それ以外に、そもそも・起源・残余としての男の子であるという身体が、仮想化(=女の子ぽい)に塗りつぶされることなく、仮想における頸木から聖佳さまを解放してくれる。いくら仮想の檻で迷っても、起源はそれを担保しているということですね。これは綾音さんとはまったく逆の結論で、しかし両方とも聖佳さま・千里さんにおける彼・彼女の象徴的位置が楔となって流れを決めている話であり、そうなるとつまるところ「心の問題」と要約できるかもしれません。起源も、仮想化も、結局のところそうなのだと―――

そして最後の仮想化しきれない残余が、彰と晶子=彰(女装彰)という存在の「同一性」。結局は――たとえば、「彰・漢化計画」の彰は晶子=彰と変わりなく、女の子と変わりなく、本編における晶子=彰と変わりないのだけれど、「それでも男である」ということは、そのシナリオのラストで実証している。けれど、晶子や聖佳さまや薫さまや千鶴さんが「そう思う」ように、まるで女の子……まるでルピナスに潜入していた頃の晶子=彰と同じなのです。
ならばつまり、そういうことなのではないだろうか、というのが個人的結論です。
本編の女装彰も、彰である。
このFDで描かれたもののひとつがそれ。晶子=彰はイコール彰であり、あの可愛かった・萌えた本編での晶子はイコール彰であり、じゃあボクらは男の娘に萌えてかつ男の子に萌えてた、それでいいのではないだろうか。本編で晶子=彰を描き、その時点では「彰」は晶子=彰に完全には接続されていなかった(描写不足ゆえ)けれど、ロイブーにおいて彰を描き、その女の子性と男の子性とそこにおける残余性を描き、ゆえにこれらは接続されて、ゆえに晶子=彰(女装彰)と男の子である彰は統合された。どうしてこのFDで彰ばかりが描かれたか。それはわたしたちにおける仮想化しきれない残余を回収して、わたしたちにおける「晶子=彰」と「彰」の象徴的位置を同定するためであったのだ、なんてことも言えるくらい、そのくらい綺麗にまとまっている。(晶子シナリオが無かった理由もそれで回収すると締りが良くなるんですが(兄妹という起源に追いつかれた・その起源を超えることはできなかったし、起源と向き合い続けたこの作品でそれをしたら全てが台無しになってしまう)、えーとまあさすがに「それでも見たい!」が勝っちゃいそうなんで、まあなんつうか、みなさん心の中で「ぼくのかんがえた晶子シナリオ」展開して満足しましょう!(なにそれw))

この最高の返答をもって、本編でやり残したところは全て無くなり、仮想化は全て纏まり回収された。『花と乙女に祝福を』のシメとしては最高の作りでした。

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-73.html

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