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なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO 

星空のメモリア -Wish upon a shooting star- 感想

   ↑  2010/02/10 (水)  カテゴリー: 星メモ

星空のメモリア星空のメモリア
(2009/03/27)
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ということで『星空のメモリア- Wish upon a shooting star -』、ああこれはサブタイも含めて素晴らしいタイトルですね、いやサブタイがまた素晴らしいというか、心が奮えるわというか。正直、自分ではこの星々の十分の一も触れられてない(=全体の十分の一も語れてない)んですけど、何度も書いたように、わたしではこのくらいが限界ですわー。ということで、ここらで星メモ感想もいったん打ち止めということで。

■明日歩シナリオについて http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-75.html
■蒼さんシナリオについて http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-76.html

上ふたつは先日までに書いた個別シナリオについて。以下は全体のネタバレありで、三つほど。
……と、ここまで書いてなんかメッチャ書き逃している(そりゃ自分で十分の一以下と言ってるくらいなんだし)ことに気づいたので、適当にメモっておくと。

・キャラクターデザインとキャラクターとの相同性。狙ってやったのか、偶然なのか、あるいは再帰的に絵が・話がそうなったのか分かりませんが。たとえば明日歩感想で書いた、明日歩のダブルスターとか、雪菜先輩が立ち絵において基本的に「片目だけ髪の毛で隠れている」こととか、他に千波のうさぎ尽くしとか、千波の立ち絵が基本的に両手を(上にしろ下にしろ)広げているのとか。全員が全員というわけじゃないので、なんとも言えないというかメモ以上のなんかにならないんですけど。とはいうものの、雪菜先輩の片目が隠れていることと彼女の性格・物語との関連性は(あるいは隠喩性)はあるでしょうね。
・絵といえば、塗りがエロゲというよりアニメっぽい面白い感じで、つうか京アニ(堀口)っぽくて、いや明日歩のにま~って笑ってるのとかまるで唯じゃん、とか(笑)。
・「名前」についても色々あるかな(たとえば、名は体を表すみたいな感じで)と思ったのですけど、ちょっと難しいかもしれないですね。メア・レン・夢・明日歩や衣鈴なんかは割りとすんなりですが、他の人は……それこそ、現実の人間に対するのと同じように、どうとでも言えそうなことをこじつけのように繋げるだけになってしまうかもしれない。
・「展望台」は、展開する望の台。「望遠鏡」は、望む遠くを視る鏡。もち、戯言ですけど。
・面白かったかつまらなかったかみたいな話でいうと、「超よかった」です。素晴らしかったとしか言いようがない。

ということで以下ネタバレ。





千波についてのいろいろなざれごと


さぁて、個別シナリオについてを書いていく余裕はないが、千波についてなんか書く余裕はあるぜ! ということで愚かな俺たちの永遠の妹、略してエターナル愚妹こと千波さんですが、いやぶっちゃけた話、個人的な好みをいうと、顔も性格も物語も7人の中で一番好きというわけではないけど(むしろ全部下から二番目くらいだけど)、最終的に一番好きなのは千波なんだ! 千波ーー!俺だーー!妹になってくれーー!!! ということで、この娘すげー好きです。ウザイけど。ウザイけど好き。ウザ好き。
そういえば某所で写真を拝見したのですが、千波のフィギアが発売されるのでしょうか? もしそうだとしたら、あの伝説の競技「エクストリーム千波投げ」(※蒼さんシナリオで洋くんが見せた、「千波を投げて千波に「とってこーい」と命じるヤツ(=どの千波がどの千波をどう取ってくるの?)」、別名クォンタム千波投げ)が現実で再現可能というわけですね! すごいよ、千波はどんどん広がるよ! ほらたとえば星メモEHで千波の声優さんが変更されたわけですけど、これだって本編において「あの千波」「この千波」ネタを洋くんがあまりに言い過ぎてしまったため具現化された結果ですし(ウソ)。この調子でコンシューマ化で声優変更、アニメ化で声優変更、星メモ2で声優変更と続けていけば、さらなる千波が誕生して、終いには千人の千波が津波のように押し寄せてくるわけです。千波シリーズ、完成していたの……?千人の千波による千のボイスでの「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃーーんっ!」……このウザ萌え度は……死ねる……!

すみません、脱線ばかりしてしまって。いいかげん話を戻しますが、星メモの素晴らしい点の一つとして、序盤から散りばめられたさり気ない会話や、ただの日常のやり取りみたいなのにもちゃんと意味が入ってるところがあると思うんです。たとえば明日歩さんが「会話のとき近づく」とか「雨予報」とか、かなり早い段階から触れられていて、その時(=共通シナリオ時)は、それは(後者はともかく前者は特に)そういうキャラなんだな~くらいにしか認識されてませんでしたけど、最後までやるとその理由・その意味すらはっきり分かる。こさめさんの「くわばらくわばら」とかもそうですね。また蒼さんがタロットカード占いに依存していたけれど、洋くんと恋仲になったあたりからタロット使わなくなったことなんかも、シナリオ中で言明されることはありませんでしたが、最後までやればその理由・その意味を推測できるようになっている。こういうのがまた魅力だなぁ~と思うので、千波についてもひとつ、私が思う妄言を。

千波における悪夢というのは、無力な・無価値な・無意味な・自分自身というものです。「いらない子」である自分、という彼女にとって覆しえない原罪。勿論それは、千波が勝手に仮構したものなのだけど、だからといって自分自身ではどうすることも出来なかった。それ故に、悪夢。たとえどんな内容であろうと、それが”自分自身”であろうと、自身にどうすることも出来ないまつろわぬものこそが悪夢なのだ。
レン 「キミにとっての悪夢が、想い出だったのと同様……」
レン 「キミにとってのまつろわぬものが、展望台の彼女だったのと同様……」
レン 「千波さんにとっての、自分の枷となる存在が――――」
レン 「――――千波さん自身だった、それだけのことです」
さきほど上に「この千波」「あの千波」ネタのことを書きましたが、これが見事に繋がるんですよね。自分が迷惑をかけている、自分はいらない、足手まといでしかない、お兄ちゃんのために自分がいなくなったほうがずっとマシなくらいに―――。 千波がお兄ちゃんの世話をして、千波がいなくなったほうがずっとマシ。 だって千波はいらないから。 足手まといにしかならない千波はいらないから。 「その(無力な)千波」である「あの千波」は、「この千波」にとって”いらない”のです。……いやしかし、ただのギャグだと思っていたネタが、実は物語にぐっと接続される意味を持っていたというこの作り! 最高です、個人的にはもう大好きです。

千波シナリオは彼女の成熟の物語でもある。
千波 「千波はもう、子供じゃないから……」
千波 「子供の千波は、嫌いだから……」
千波 「なにもできない千波は、嫌いだから……」
無力の、子供の、つまり「いらない」千波は嫌いで……それが悪夢として彼女を縛りつけていたのですが、悪夢から醒め(=刈られ)、その千波に囚われ続けないで、新たな千波へと千波が歩き出せるようになった。イコール、 「千波はもう、子供じゃないから……」 。以前にも書きましたけど、千波は料理が下手……を通り越して異次元入ってるというネタがありました。千波の料理が下手を通り越して異次元レベルである、というのは、エロゲに限らずフィクションでたまにみる「信じられないほど壊滅的に料理が下手な女の子」という属性ですけど、大抵それって他のものに置き換えてもいいギャグ表現でもあるのですけど、あえて深読みすると。「料理」というものを象徴的に見て、料理ができないというのは「非=母性」・母としては「欠けている・届いていない・足りていない」などの暗喩、あるいはそういう、(家庭に入る=母になる)女は料理が出来る(出来て当たり前)という、少し古めかしいくらいの「要請された女性像」に対する反発とか反論つまり「非=要請された女性像」、ないしそれが「欠けている・届いていない・足りていない」などの暗喩、もっと単純に「独り立ち出来てない、一人前でない(下手だけど何とか出来るレベルではなく、異次元レベルなのだから、「要請された」や「母性」どうこう以前に、単純に人の平均値から見ても異常な状態である)」ことの暗喩、などと読むこともできるでしょう。
千波の場合は、毎回「卵料理」に挑戦していて、それを異次元失敗していた(卵焼きを作ってたらなぜか「ひじき」になってたり「クッキー」になってたり「カフェゼリー」になってたりする)のですから、当然「卵」というのは「未熟・未成熟」の暗喩と読むことが出来るものです。まだ生まれる前の卵を料理すること=加工に失敗する、それは、自身の未熟・未成熟を越えることに失敗している彼女自身と符牒するのではないでしょうか。未熟な自分という悪夢に囚われているのだから、卵料理は失敗する―――どころか、なにせそれは「悪夢」なのだから、「異次元レベル」に失敗する。
それを鑑みれば、千波が「卵が加工された食品であるマヨネーズ」が好きであるのも頷けるでしょう。異次元の失敗を行わざるを得ない者にとって、卵の加工品の中で最も使い勝手が良い・殆どなんの食品にも合う=「いらなくない」マヨネーズは対極にして頂点に立つもの。目指すもの・欲しいもの、つまり大人・必要とされることの象徴でもある。
ここまで話を展開すると分かるでしょう、”だからこそ”なんですよ! 卵料理を失敗するということが、自身の未熟(=卵)を成長・変化させる(料理)ことの失敗の隠喩であり、彼女がマヨネーズを好むのもそれ故である、象徴的位置として、卵料理失敗とマヨネーズは、千波自身と千波の自我理想と同じ場所に配置されている――つまり隠喩である。とすると、ですね。

なぜ千波は(洋くんの)精液に「マヨネーズの味がした」のか、

という千波シナリオ、いや星メモ至上、いやいや全宇宙規模での超問題、その謎が解けるわけです。つまり、 「千波はもう、子供じゃないから……」 ……キャー、大人の階段登っちゃったよ千波さんーっ! もうちょい真面目に言うと、「変わった」ということですね。いやそれ以前に「変わることが可能になった」というのがあって、悪夢とはどうしようも出来ないから悪夢であり、それが無くなって(枷が無くなって)”はじめて”、自分自身を見つめ、自分自身の(「その千波」でも「あの千波」でもない、「この千波」の!)価値を認めることができるようになって、変わる可能性が生まれてきた。そして 「子供の千波は嫌いだから……」 と、一歩づつ変わっていく。その上での、未熟な卵ではない、完成された卵の加工品として、肉体関係=精液が象徴されるわけです。
千波シナリオは彼女の成熟の物語でもある。成熟に至ろうとする彼女の物語でもある。だから「マヨネーズの味がする」こともまた、当然であり、十全であった。


洋くんについて・不完全版


洋くんの、「諦める」ということへの反発。つまり「諦めたくない」ということですね。彼が自覚する限りにおいては、それは7年前の引越しにある。
俺は、もっと努力すべきだったのかもしれない。
だって俺は母さんに反発もせずに引っ越しに従った。
引越しを決めた母さんが悪いんじゃない、当たり前だ、母さんだってこの街を離れたくなかったに違いない。
悪いのは、ただ成り行きに任せて従ってしまった俺なのかもしれない。
たとえ結果が伴わなくても、彼女と離れ離れにならないように努力しなかった俺の怠慢が、このやるせない現状を生んだのかもしれない。
頑張れば何とかなったわけではない、駄々をこねれば覆ったわけでもない、引っ越したくないよと母さんに「甘えれば」それで結果が変わるとは限らない、けれど、それでも―――それでも、何もしなかった。たとえ無駄かもしれなくても、たとえ叶わないとしても、何もしなかった=諦めたのは、事実。
だからこそ今の洋くんは、諦めたくない、諦めない人間になっているわけです。 諦めたら後悔が待っている。過去の「僕」が、ふくれっ面でそう言っている。 それ故に、雲をも掴むようなところから夢を探し出し、彼女に拒絶(お見舞い禁止)されても、そこで諦めエンドロールを迎えることもなく、辿り着くことが出来る。それは他のヒロインシナリオでも同じく。何かの障害、何かの問題、―――つまるところ、彼女らの「悪夢」に接しても、それだけで簡単に終わりを迎えることなく、乗り越えていける。それはつまり、この洋くんだから乗り越えていけたと換言できるでしょう。他の人だったら、彼女と自分との間に在る悪夢という溝を乗り越えること出来ずに潰えていたかもしれない。諦めずに接し続けられる、つまり「し」つこく「あ」いてに「わ」かってもらうまで「せ」まることが出来る洋くんだからこそ辿り着けたふたりの幸せ。洋くんがそこまで来れたのは「諦めたくない」という信念を持っていたからであり、それは7年前の、展望台の彼女との出会い・そして別れがあったからこそでもあった。
蒼 「……先輩は、変な人です」
蒼 「自分から荷物持ちがしたいなんて」
実は全ては「やり直し」でもあるのではないだろうか。あるいは「過去の救済」か。彼は言わば「アララギさん(化物語)体質」に近いものがあるようにも少し見える。困ってる人を救っていく。それは、このように、マルチシナリオで、そしてその殆ど全てが、「問題を抱えるヒロインを支えて救って共に歩んでいく」形式だと、よりそう見える。 「自分から荷物持ちがしたいなんて」 とは、蒼さんシナリオの一幕で、これは物質的な荷物(望遠鏡)を持ちたいという彼に向けられた言葉ではあるが、しかし彼が、彼女たちの精神的な荷物を自分から持ちたいということを示唆しているように読むことも可能だろう。本当に、おせっかいなほどに、良い人すぎるほどに、自分から首を突っ込んで荷物を持とうとする。それは「諦められない」からであり、それは過去の後悔から来るものであり、だから諦めてしまったら、過去が蘇る(再現前する)。ならばそれは、裏から読めば「やり直し」でもあったのではないだろうか。あの時「諦めてしまった」から後悔している、だから今回は「諦めない」。それは、今の洋くんが、あの時出来なかったことを為し遂げるということ。それは―――今の洋くんによる、過去の洋くんの救済を意味するのではないだろうか(だからこそ、展望台の彼女は、常に、彼の悪夢では無くなり、全てのシナリオで強調されているように、彼は彼女と「ともに歩く」ようになれる)。
だから、夢シナリオにおいて、母さんに頼って時間がループする(タイムリープする)のもまた、実は同質なのではないだろうか。それはそもそものはじまりであった。7年前に「何もしなかった=甘えなかった」ことが「諦められない」自分のはじまりであり、では、7年前に「諦めなかったら」……? というifが7年後に叶えられるのが、母さんに甘えることで夢と離れ離れにならなくなったこのタイムリープである。と考えると、甘えることや頼ること、つまり一人ではこの天の川を渡りきれないけれど、誰かというカササギの力を借りれば渡りきることができるという「絆」は、洋くんに”7年前から”足りなかったものであり、それはまた、相手から見た「しあわせ」である。
夢は、俺のおでこにキスをする。
三度目だ。
幼かった夢にされ、幼かった夢にそっくりなメアにされ。
そして今夜、成長した夢にされる。
すべてが共通している。
そうか、俺は。
見ようとしていなかった。
差し伸べられた手を払っていた。
つかもうとしなかった。
頼るべき機会を自ら失していた。
だから俺は、誰かの傍にいるようで、いなかった。
向こう岸から誰かが呼んでも、一人で待つばかりで。
かささぎの橋はちゃんとかかっていたのに。
俺はずっと、天の川を渡ることが、できずにいた――――
なぜ洋くんは「用意周到が性分」かというと、それは「全部ひとりでやってきた」からでしょう。誰にも甘えることなく、頼ることもないというならば、用意周到になるのも道理。一人で戦い抜くには、適当に一か八かではいられないのだから。考えて、観察して、予行して、準備して、用意周到にならなければならない。不測の事態や意外な展開に対応できるようにならなければならない。しかし本編では意外なほど、彼の「用意周到」な場面はお目にかかれませんでしたよね。いやこいつ用意周到なのって最初の目薬くらいで後は結構普通人レベルじゃん、と。これは、逆に、実は最初から”もうそうではなかった”からではないか。一人で何もかもやらなければならない、という彼では既に無かった。一人でやらなければならない、というのは悪夢でも何でもない、ただの彼の赤点であり、ならば刈られなくても加点は可能だ。家族の為だけに作られた自分は、この時既にもういない。なぜなら、友達と遊ぶということの楽しさを、夢に教えてもらっているから。
彼女は俺に友達と遊ぶ楽しさを教えてくれた。
その楽しさを知った今の俺なら、クラスメイトの遊びの誘いを無視する子供の頃の「僕」にはならない。
 母「海水浴に誘っても、ついてくることはなかった」「夏祭りに誘っても、ついてくることはなかった」 友達と、海水浴にも行くし、夏祭りにも行く。「僕」である洋くんはもういない。「かんしんがない」自分は、もう居ない。そしてその二つの時に、洋くんは夢を街で見かけている、その時に夢は、洋くんの姿を見て、「優等生になれたんだね」と判断したのだ。……実際、それは違っていた、優等生にはなれていなかったのですが。しかし。自身の内側だけでなく、外側でも「本当の笑顔」を見せれるようになっていた。いや、内外なぞ無くなった、と言った方が正しいか。
カササギの橋は渡れなくても(気づかなくても)。橋をかけてくれるカササギさんは、洋くんの周りにたくさん居た。

ここから先はシナリオの通りといった感じ。というか、いやもう例の如く僕が限界です。読めば分かるとおり、なんか話が右往左往しているw いや星メモの感想は難しい、特に夢とメアは難しすぎてムリです。ということで、わたしはこの辺でギブアップして、どなたかがかけてくれるカササギの橋を待つことといたします。


S=エフェメラル


悪夢を刈り取るからナイトメアの「メア」で、恋人の仲を引き裂くから恋の訓読み「レン」なのか。とか思ったりして。あと個人的にS=エフェメラルは、スター・エフェメラル説をなんとなく押してみる。根拠は殆ど語呂ですがw、スプリングやサマーよりスターの方がそれっぽい語呂だなぁと。
雪菜「こさめも言ったと思うが、アレは幻覚だ」
雪菜「といっても人が生み出した幻覚じゃない、違うモノが生み出している幻覚――夢幻だ」
雪菜「違うモノが見ている夢だから、私たちにも見えてしまう」
雪菜「その違うモノは、人を内包する存在だから、人が見ている夢じゃなくとも見えてしまうんだよ」
春に薫る夢でも、夏の儚い夢でもない。メアの存在は星の見るユメ。彼女たちは、星明りの下でしか映し出されない。
レン 「億を数える星々が高次元領域を広げ、それで初めて私の姿が人の目にも映りますから……」
大河クン 「さしずめ星明りがドームスクリーンで、隕石が投影機と言ったところか」
大河 「この隕石に宿っていたレンが、隕石が放つ未知の光によって、俺たちの前に映し出されているんだよ」
万夜花 「まるでプラネタリウムね」
彼女たちにしてみれば、星明りの下以外で姿を表すというのは、明るいところでプラネタリウムを行うのと同じようなもの。やろうと思えば姿を表せられるけど……その難しさと負担は、本編で語られたとおり。夜の闇と、満天の星空。その元でだけ、十全に姿を表せる。それは春のもと一瞬だけ咲き誇り、後は次の春までひっそりと――そこに居るのに誰も気づかないくらいひっそりと(あるいは地中に潜り)――暮らすスプリング・エフェメラルと同じく、星空のもとだけ存在が顕現し、そうでない時は居るのに誰も気づけない(見えない)彼女たちは、言わばスター・エフェメラル。
そんな彼女たちを、明日もまた、気づけて、見て、触れられるように。春にしか咲かない花があるように、星空にしか咲かない花もある。そんなスター・エフェメラル。だから、明日も会えるように、祈りを。明日は満天の星空になりますようにと、祈りを。  Pray to become starry sky tomorrow...



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