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2010/02/19 (金) カテゴリー: 未分類
一言でいうと「惜しい・もったいない」。(二言だけど)
ド田舎ちゃんねる5 ~こちら鈴音学園放送部~
(2010/01/29)
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公式サイトで自ら「バカゲーである」と謳っているとおりの感じのバカゲーなんだと思います。
はむ子 「番組スタッフはいつでも全力投球!なのだわ」これは、作中のテレビ番組で、それを作っているスタッフ(=主人公たち)のことを言っている台詞(この台詞自体主人公たちが言ってるから自己言及的)なのだけど、このゲームもまた、この台詞どおりであるでしょう。手抜きはない、全力で作られている、全力で作られてるんだけど……力の入れどころがどう見てもおかしい! 故に「バカゲー」。
MISUZU 「その全力投球が、明後日の方を向いてるのもお約束よね」
その「全力」は、主に「テレビ番組」に注がれていると見てもよいでしょう。特撮ネタのカソレンジャーをはじめ、フラグへし折るアニメ、超推理ムリヤリ探偵、シュールすぎる天気予報……どれもですね、めちゃくちゃ面白いです。いやーこれらのテレビ番組にはホントに笑った。笑えるエロゲーって意味では、番組についてはエロゲ史上トップレベルの出来栄えです。です……けど。番組は面白くてテンポ良いんですけど。他が……。
という点で「惜しい・もったいない」。ぶっちゃけて言うとテレビ番組部分以外が基本的に殆どつまんないという話でして(ぶっちゃけすぎた!)。とはいえ、しかし。それはそれで、ある意味正しいのですが。彼らの日常の方が、彼らの作るテレビ番組より面白かったらおかしいわけで。だったら日常をテレビで放映すればいい。普段”より”面白く・楽しくなければテレビにならないわけですから、これはこれで正しいのですが。とはいえ勿体無いなぁとはやっぱり思ってしまうワケです。
シナリオ自体は、基本的には、家族と恋人(仲間)、田舎と都会、現在と夢、といった感じの「二頂対立」という構図に見せかけておきながら、結局は「対立」というほどには対立しない、むしろ包括に傾くとか、華麗にスルーするといった趣でしょうか。いつまでも「このまま」ではいられない、意識していようがしまいが、いつかは変わっていかなくてはいけない/勝手に変わっていってしまう、という当たり前のことを、いつもの彼らのノリともいえる流儀で軽く乗り越えこなしていく。この辺は「番組」とも類似していますね。たとえばカソレンジャーなんかは、田舎vs都会という二頂対立構図でもありながら、決して「相手を否定することのない戦い」になっている。都怪人の提案する都怪物はイイけど、田舎には田舎の良いところが、それとトレードオフ関係であるよね、コンビニとか地デジTVとかに美鈴がキャーキャー騒ぐように、それは欲しいものであり憧れでもあってそのこと自体は(積極的には)否定しないけれど、田舎にしかないモノもまた素晴らしいものなんだね、と。相手を否定するのではなく、自分側を肯定するというカタチで、二頂対立を華麗に流している。あるいはエレンの探偵物などもっと酷いかわしかたをしていてw、探偵vs犯人・事件という通常ありえる探偵物の対立構造そのものをガン無視して跳び越えてしまっている。天気予報は「天気予報なんていみない」という結論に達するし、お悩み相談は結局相談してない(相談になってるといえばなってるけど)。全体を通じて、基本的にある構造、対立構造を無視してるんですね。
その「ノリ」。軽いとも緩いとも、超然とも泰然とも、現代っ子的ともいえるそのノリが、番組においてもシナリオにおいても一貫されていて、その上、それが「全力」でもって貫かれている。基本にあるのは「否定ではなく肯定」です。ジュースの自動販売機が村に一つしかないというレベルであっても!主人公たちの自宅以外の民家が背景素材に殆ど出てこないというレベルの田舎であっても!この村自体を否定しない。かといって、(カソレンジャーなどで)押し寄せる都会の誘惑も否定しない。都会の魅力も否定しない。もちろん、都会の怖さも否定しないし、村のしょぼさも否定しない――つまり悪い部分に対して目を瞑っていない、悪い部分もそういうものだとして肯定している。
そういった根幹にあるノリが、「田舎モノ」だけれど、たとえば田舎モノエロゲーでよくあるような、村のしきたりやら伝承やらがなんたら~とか人付き合いの派閥だの村八分だのがなんたら~といったような、暗い部分やジリ貧な部分、くすぶる部分などがまったく無く―――むしろ、山から聞こえる音がする!山鳴り!?なんだそれは? と煽っておきながらも伝承や不思議とは全く異なるオチとか、自分たち幼なじみグループのことを「こういった小さい村特有の派閥的なもの」と喩えておきながらもそれが問題にも軋轢にも何にもならないように。流し、かわし、包括し、否定しなくて、肯定するという、そのノリを全力で貫くことにより、悠然と跳び越え、ある種のさわやかさをゲーム全体に振りまいていました。それは、頑張ってはいても、何も無理していない、彼らの自然体であり(番組作りも同じですね、彼らの能力に合わせてそれぞれ役割が割り当てられていて、頑張ることはあっても、厳しいムリはない)、だからこそ心地よい。
(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-80.html
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