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朱鷺戸沙耶さんは、もう、ゴール済みなわけでして。

   ↑  2010/02/20 (土)  カテゴリー: メモ
だーまえさんに関するメモその38くらい。ちなみにボクは「麻枝さん」って記すのが畏れ多すぎるので、基本的には「だーまえ」と書いてしまいます。愛称の方が畏れ多くない! なんというか、直裁を免れますよね、愛称というのは。まだまだ、麻枝さんに対して正面から向き合えるレベルの武装を有していないので、せめて愛称を使って、今はまだ本気出してないだけ、これは途中なんだと自分に言い聞かせておきたいのです。

それはともかく。

えっと、麻枝准イコール家族と思われてる方がいるかもしれませんけど、全然ちがうからっ! とすっげー昔から思い続けて岩をも砕く一念になってるんですけどどうでしょうか。
たまたまAIRやCLANNADが家族についてを強く描いていただけで――いやそれすらも行き掛けの駄賃でしかない。別に家族じゃなくて、恋慕や希求でも自身の不可能性についてでも友情でもなんでも良かったのだろう。ということは既に(順に)ONE、Kanon、リトバスで実証されている。
そこのところを逆順するとですねー、「ONEもKanonも家族を描いていたんだ!」と遡及的過去生成したり、「リトバスは擬似家族なんだ!」と遡及的未来生成したりと違ってしまうんじゃないですかねー。リトバスが示していることは、「だーまえの題材は家族じゃなくて友情でも良かった」と読む方が普通だと思うんだけど、だーまえは家族を描くものだと先に決め付けてしまうと、「これは友情じゃなくて擬似家族なんだ」となるから不思議。
僕は知りたくなかったんだ。生きることが、失うことだったなんて。そこで、歩みを、止めた。【リトルバスターズ】
「滅びに向かって進んでいるのに…?」 いや、だからこそなんだよ。 それを、知っていたからぼくはこんなにも悲しいんだよ。 滅びに向かうからこそ、すべてはかけがえのない瞬間だってことを。【ONE】
めちゃくちゃ、簡略化して単純化すると、結局だーまえさんはずっと「この話」をしてるよな。てゆうかボクがだーまえさんのお話するときにその話ばかりしてる、ということでもあるんだけど。ONEにおいて「水たまりを駆けぬけ、その跳ねた泥がズボンのすそに付くことだって、それは幸せの小さなかけらだった」ということを提示し、Kanon(の麻枝さん担当分)において「水たまりを駆け抜けることすら出来ない人の幸せ → 人工的な水たまり」を作り、AIRにおいて「水たまりはいつか失くなる、”けれども”」ということを示し、「水たまりが無くなったら得られる筈の幸せが得られなくなる、けれど歩んでいくことができる」というのがCLANNADで、「水たまりが無くなったら、跳ねた泥がズボンのすそに付くという幸せは得られなくなるけれど、別の幸せがそこには待っていますよ」というのが智代アフター。
そしてまた最初に戻って。水たまりを失うくらいなら最初から水なんて溜まらなければいいのか、あるいは、水たまりを失うのは悲しいけれど、それでもやっぱ水たまりが欲しいのか。出会いたいのか。それが「リトバス」。
同じことばっか言ってるといえば同じことばっか言ってるけど、ゆるやかに終わっていて「ゴールしていいよね」と言葉だけの同意までも求めてくれた観鈴から十年後の麻枝に居たのは、いきなり実弾でこめかみを撃ってあっという間にゴールしちゃう朱鷺戸沙耶であった。言葉も(形式ばかりでも)疎通も失われたそこには、その分の鋭敏さと洗練さ、諦めっぷりが強くある。これは沙耶に限らずリフレインをプレイすれば明白でもありますね。諦観を催すほどの予定調和っぷりは、事実諦観に支配されている。この子たちは……特に沙耶は、折原浩平となんら変わらない立場なのに、中身は全然異なるじゃないですか。鋭敏で、洗練されていて、そして諦めに満ち溢れている。浩平の結論など最初から持っていて、さらに言えば、朋也の帰結も、智代の訓戒も、観鈴の心情も晴子の得たものまでも、最初から持っている・あるいは”知っている”。―――だからまあ、当然、言ってることは同じではない。

リトバスEXの情報公開当初、麻枝さんは雑誌にて「朱鷺戸沙耶は既に○んでいるヒロイン」みたいなことを仰っておりましたが(「○んでいる」は発売前なのでネタバレに配慮したという意味であって、それ以上の意味はなく、単純に「死んでいる」と受け取って構わないでしょう)、もうその時点で完成してるし、完結してるし、そりゃだーまえさんもこれでシナリオライター引退するわって話ですよ。「既に死んでいる」。これほど完成された形が他にあるだろうか? はじまる前から終わっている。ならば失敗も敗北もありえない。去勢も失意もありえない。分を弁えるのが、唯一のやり方だ。

これはあたしの青春だ。
その中を精一杯に理樹くんと駆け抜けた。
よかった……。
こんな温かな世界に……一時でも居られて。

「もう、ゴールしていいよね?」なんて必要ない。9年も経てば、そんな形式上でしかない同意に安らぎを求める心などとっくに無くなるくらいに、僕らは磨耗し洗練され諦めた。というか、既にゴールしてるのだ、はじまった時から。滅びに向かって進んでいるとは、突き詰めれば、最初から、既にもう「滅んでいる」。たとえば、沙耶というは、だから死んでいる。沙耶は死んでいるからそうである。終わりという約束が既に果たされてる彼女だからこそ、こんな台詞(↑の引用文)を、こんなふうにのたまえる。その輝きを忘れてはならない。そんな輝きが、あんな死に顔を作り出しているのだから。

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