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skysphere「翼をください」について

   ↑  2010/03/05 (金)  カテゴリー: 未分類

翼をください 初回限定版翼をください 初回限定版
(2010/02/26)
Windows

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とりあえずネタバレなしで語ると、良くなかったですけど良かったです。 ←なんじゃそりゃ、と思われるかもしれませんが、いやホントにそうとしか言いようがありません。キャラの可愛さや魅力なんかはもの凄く素晴らしいレベル、テキストは非常に高品質な出来、演出・画面やインターフェイスのレイアウト・音楽などは全体的に気合入っていてかなりの好印象、シナリオはちょっと微妙っちゃ微妙だけど十分許容範囲、けれど、なんだか、なんだろ……。好きなんだけど、あまり高評価はできないというか、他人にオススメしづらいかもなぁというか。でも好きですw
好きにはなれると思う。てゆうかプレイした人、みんなコレ好きになったんじゃねw? 全体的に丁寧というか気合入っているのが分かる作りですし、キャラクターの魅力みたいなもののレベルがもの凄く高い。ぶっちゃけこれ、言っても詮無いというか、それを言っちゃおしまいよ的なこと言うけど、これ、萌えゲーにしてれば超ウルトラ大成功だったかもしれないですよね。いや、ホント言っても詮無えな。特徴的な「口癖」があるというほどでもないのに、声優さんの声の演技+テキストが、キャラの「口調」をしっかりと確立している。そういうのを基点に、キャラが日常に生きている(いわゆる日常描写的なるものが秀逸だからということでもありますが)。最近のゲームだと『星空のメモリア』なんかと近いかなぁと思います。テキストの日常描写が非常に濃ゆいというか、人によっては冗長と受け取られてしまうほど丁寧なんだけど、そこを愛せるのならば、これは好きにならざるを得ない、という点とかも。

お話自体は、喩えるならば、「リトルバスターズの真逆」です。ネタバレないように抽象的に言うと、いわゆる「母性のディストピア」ですね。つうかあまりに直訳ってくらいまんまで、ある種失笑してしまうほど。いや直訳すぎて別物になっている、と言った方が正しいかもしれません。現実的にはそうでも、象徴的にはそうでないわけですから(少なくとも主人公である彼にとっては)。そこで取られた手法は、リトルバスターズの真逆でした。しかしそれでは敵わない。しかしそれでは叶わない。その牢獄は我われを殺さないが、生かしはしない。救うためには、歩むためには、翼が欲しいのだ。その解決点は”他者”、そして(喩えるならば)”現実”にある。これもやはり、リトルバスターズの真逆であると、喩えられるでしょう。

そんなわけで、以下ネタバレ。
あ、その前にひとつ、忘れないようにメモしておくと、本作には女装男子が出てくる(http://skysphere.jp/product/tsubasa/character08.html)んですけど、これが「リアル女装男子」(=KABAちゃんとかIKKOみたいなの)で、本当に驚きました。普通に見ると、フツーにキモいw いや慣れてくるとこれはこれで愛着が湧くのですが、しかしフラグ的なものを匂わされると途端にキモくなるんですw 誰得。やはり女装男子は非実在青少年に限るというか、非実在青少年だからこそ女装男子なのだな、ということが確信できました。女装男子(男の娘)というのはですね、現実には「絶対に」存在してないんですよ。現実に存在した時点で別物になるか、よく出来ているけどいつか化けの皮が剥がれるフェイクになるのです。でまあ、プレイすればわかると思いますが、『翼をください』において非実在青少年的女装男子が出てきたら作品台無しになるくらいぶち壊しなので、二階堂がアレな点に関しては別にアリだな、というか寧ろ、本作だからこそわざわざ萌えない女装男子を用意したのかな、って邪推できるほどでした。
あともういっちょメモっておくと、16:9がこんだけ生かされているCGは珍しいです。つまりあの探偵部の部室のこと。あの、端っこにストンと雛子が座り、そこ以外が大きな余白=余剰となるあのCG!! マジこれは、4:3じゃ絶対不可能です。だって余白=余剰(※余白は常に余剰というワケではないですが、この部室に関しては余剰と読んで間違いない)がこんな風に生まれないですもん! あるいは、特に夜バージョンの方とか、主体を逆転させれば、端にちょこんと座る雛子の方を余白・余剰、というかある種の「しみ(「大使たち」のアレのような)」と視ることもできるでしょう。これだって4:3じゃ物理的に(画面サイズという物理的に)不可能というか難易度高すぎてまずエロゲじゃお目にかかれない! これはねー、ちょっと久しぶりに(むしろはじめてかも)、CGだけでウルトラ興奮させられました。必見です。
a_tubasa047.jpgあとついでに言っておくと、オープニングムービーはネタバレなので見ないほうがいいです(笑)。公式サイトですら結構危険……!

ということで、以下本編ネタバレ





本作はいわゆる「ループ物」ですが、そのループというのは、「主人公を成長させないためのループ」であった。これはちょっと珍しいですよね。ループの果てに主人公が成長する、その為のループである、なんてのは比較的ループ物としては妥当だと思うのですが(まさにリトバスですね)、「翼をください」はその逆を行っている。
豊 「途中で消えてしまっても、世界が何ら困らない者」
豊 「それらの運命を、この時計台では変える事が出来る……」
涼子 「つまり、天野光人が成長し、もしこの世界にある程度の力を及ぼせるようになってしまったら……」
豊 「もう光人はここで世界を変えてもその影響は受けなくなるわ」
涼子 「逆に、その状態で光人が殺されれば……」
豊 「もう二度と、生き返らせる事は出来ない」
豊 「だから……だからあの子には……あまり成長してほしくないのよ……」
豊 「あの子は……あの子は普通の人間として生きて欲しい……・わたしたちのように、力を持つべきでは決してない……」
主人公(光人)の母は、天使であり、世界をやり直す(歴史を改変してやり直す)能力を持っている(※彼女にしか扱えないとはいえ、彼女自身からは半ば分離しているので、厳密に彼女の能力と言っていいのかは留意が必要ですが)。
彼女は比較的自由に、世界を組み替えてやり直すことができるのですが、しかし何にでもその能力が作用するわけではありません。それが上の引用文にもあるところ。「つまり、天野光人が成長し、もしこの世界にある程度の力を及ぼせるようになってしまったら……」「もう光人はここで世界を変えてもその影響は受けなくなるわ」。大きすぎる存在となってしまったら(作中の能力的には「歯車が大きくなりすぎたら」)、もう世界を組み替えても影響を与えられなくなってしまう。たとえばもし死んでしまっても、現在ならやり直すことができるけれど、光人が成長して(=自身が天使だということを自覚して)しまったら、その歯車は大きくなりすぎて、組み替えてイチからやり直すということが出来なくなってしまう。
だから、豊としては成長してほしくない。息子に。
彼が、自分が天使であるという自覚を持たないで、普通の人間のまま成長していって欲しい。事実、光人が死んだら、豊は世界をもう一度やり直すわけですし、光人が天使であるという自覚を持っても、豊はもう一度世界をやり直すわけです(とはいえ後者の場合は、光人自体に世界改変の直接的な影響は与えられないと豊は思い込んでるから、周囲を改変することになります。※この辺は本編・涼子さんの賭けを参考に)。

そのような母性のディストピア……というか、あまりにまんまとはいえこれはもう半分くらい母性のディストピアではないのですが(豊さんは最初から最後まで、象徴的に<母>ではない)、しかしそれを打ち砕く者が、主人公たちでもヒロインたちでもなく、彼・彼女の意思や行動からではなく、他意と悪意を持っていると思われる得体の知れぬまさに<他者>といえる稲置涼子先輩だというのが面白いですね。しかも光人たちのためではなく、全く持って「自分の都合」でそれを為します。自分の都合、というのは、光人たちを仲間に引き入れるため。つまり利用するため。(※しかしですね、ぶっちゃけですね、物語は「ここで」終わってしまう(ボクが今書いたところでです)ので、すごく消化不良ですというか、腑に落ちないですよーw)
何というか、人に対する恐怖心?
天使であることを宣言したときから、全人類の敵になってしまうような……何故か俺はそう思ってしまうんだ。
天使というのは当然ながら、人類から見たら<他者>です。何者なのかわからない、正体がわからない、意図や目的もわからない、つまり、何をしてくるかわからない。どんな危害を与えてくるのか、どんな危険があるのか。そういうことを思わせる、不気味な存在。
もちろん、裏返して、天使から見て人類というのもまた<他者>です。ですが、光人くんたちは人間として生きてきたので、彼らそのものに他者を視ることはありません(というか、正しくは、彼らを<他者>として視ることはありません。ボロメオの結び目の一解釈。象徴的なものの遂行的な作用。以前にも書いた話(http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-56.html前半の方とか参照)だし深くやっても脱線しちゃうので割愛。や、俺つばネタバレではあるけれど)。

しかし光人くんたちにも<他者>はやってくる。その力を利用しようとするもの、その力を封じようとするもの、その力を我が物にしようとするもの、その力を知らないまま近づきその力に気づいた瞬間に<他者>がはじまるもの、ありとあらゆる人が、したり顔で、恫喝的に、猫なで声で、怒鳴り散らしながら、甘えるように、恐慌にきたれて、もみ手をしながら、平静を装い、彼らの元へとやってくる。それでも尚、人として彼らに接せられるか? あるいは彼が自分たちに対しそうであるように、自分らも彼らを<他者><もの>として昇華してしまうのか?
涼子 「ククク、だから今は何もせぬ。おまえたちには地獄の苦しみを味わってもらう」
涼子 「人間たちの欲望に振り回され、そして人間たちに失望し、この世界に失望するがいい」
涼子 「全ての希望を失った時に、私が手をさしのべてやろう……」
涼子 「今から……今から新しい歯車が回り出すのだ!」
しかしその答えは当然本編で描かれてないわけで、てゆうか上の引用文で本編が終わり、ってどこのハリウッド映画だってくらいの続編フラグなんですけどw(いや続編は出ないと思いますけどね、だってまともに続編を作ったらオルタ級の作品にならざるをえないでしょ)

それはまだ先の答えである。というか、それは、このレールの先に見え隠れする景色である。ではこのレールは如何なる景色を今現在走っているのか。このレールは如何なる景色を走ってきたのか。このレールまで如何に辿り着いたか。如何にこの列車は発車したか。それこそが『翼をください』で気にするべきことであるでしょう。
そしてそれは、先にも書いたとおり。このループを壊したのは稲置先輩である。
その理由は、平たく言えば「利用するため、と思われる」。「思われる」まで込みで。優しさでも憐れみでも同情でも何でもない。ただ己の為に、(光人の)母が作り出したこの安寧な永遠をぶち壊したのだ。それは当然でありながら当たり前であり、つまり正しい道理と言えるでしょう。子供というのは<母>に守られている。それは実在の母ならずとも、育ての親でも、近所の優しい誰かとかでも、あるいは社会や法律とかでもいい、謂わば象徴的に<母>の位置に置ける存在/事象。しかし、いつまでもその安寧にはいられない。いつまでもその安寧は続かない。我われは成長すればその安寧を自ら壊すことになるし、”成長しなくても”、現実がその安寧を許さない。<現実>がそれを許さない。
稲置先輩というのは、(光人たちがこの先に出くわすことになるであろう)<他者>の象徴でありながらも、かつ、この場合、ある種<現実>の隠喩のようなものです。というか、だからこそ、ボクはこの作品を評価できている。
自分の利のために、<他者>が強制的に永遠の安寧をぶち壊すのだ。<他者>というのは、特定の誰かでも不特定の誰かでもない。<現実的な>何者かがそれである。稲置先輩というのはまさにそれでしょう。しかしそれは、彼女のみにあらず。世界は<現実的な他者>で満ちている。
人間にとって天使は<他者>であり、天使にとって人間は<他者>である(一応の前提として)。が、しかし、当然ながら、人間にとっての人間というのもまた<他者>である。何者なのかわからない、正体がわからない、意図や目的もわからない、つまり、何をしてくるかわからない。どんな危害を与えてくるのか、どんな危険があるのか。そういうことを思わせる、不気味な存在。そんな人間、飽きるほどいるでしょう。もちろん、そうでない人間もいるでしょう。ちなみに、当たり前ですが、どちらも、ただの視座の置き場で変わってきます。どんな不審人物だって、自分がその人の親友なら<他者>じゃないし、どんな聖人君子だって、その人のことを知らないでかつその人が怪しげな行動でも取っていれば途端に<他者>へと成り変わる。<他者性>というのは象徴的位置を与えるというフィルターによって覆しているものです(つうかさっき挙げた俺つば感想のリンクを見てくださいということですが)。
稲置先輩だけではない、世界は<他者>で満ちている。前提として。ある意味、世界は稲置先輩で満ちている、と言い換えることもできるでしょう。前提として。世界は稲置先輩のような人間で満ちている(稲置たんは人間じゃないけど)。
それが安寧を壊し、今いる彼の居場所を壊し、作中の言葉でいえば、母の創りたもうた永遠を壊すことによって、光人ははじめて「生きる」ことになる―― 豊「あなたも……光人を生かせることに、賛成するのですか……?わたしのしてきたことは……」 ――光人の父(であろう人)が母を止めた場面。ここの「生かせる」は誤植ではない。この箱から出でて、はじめて光人は「生きる」ことになるのだから。死んでも死なない世界では、生きているといえるのだろうか。母の安寧に守り続けられ<他者>と出くわさない世界は、まだ卵の中のようなものではないだろうか。ここから先、彼はようやく、死んだら死ねる世界で生きることになる。ついに、<他者>が眼前に立つ世界に生きることになる。

だからまぁ、何度も書いてしまうのもアレなんですが、ようやくスタートラインに立ったというところで本作は終わってしまうワケでもあるんですよね(笑)。決してそれだけの作品ではないというのも確かで、そこを忘れてはいけないのですが。終わることより始めることの方が難しい、なんて言葉があるでしょう、本作はその難しい方を描いているわけなのですから。とはいえ、ある種の歯切れの悪さが残る。

もうひとつの軸としては、「居場所」が挙げられるでしょう。1周目から最後の最後(5周目)まで、それは徹頭徹尾語られている。光人くんだけじゃなく、他の人物も大なり小なり語られてますね。自分の居場所がなかったと語った瑠璃火、自己同一性の分離が自身の真の居場所を奪ってしまったやすら、魔からもう戻れなくなってしまった/背負った罪の分だけ進むしかなくなってしまった雛子。
クラスのみんなのところへ戻るのがイヤだったってのもある。あの頃の俺は、気弱で、引っ込み思案で、クラスのみんなからいじめられることもあった。
だからあの獣道を見つけたとき、自分だけの秘密の場所を見つけたかのような……そんな思いだったんだと思う。【1周目】
だが、同時にどこかで物足りなさ、退屈さを感じていたに違いない。
俺が居るべき場所じゃないって。
優等生でいることが、俺の居場所じゃない。【1周目】
人として生きることが、こんなにもつまらないなんて思ってもみなかった……もっと、他にやるべき事があるんじゃないか?
人としてでも、天使としてでも……。
/
人として生きることに、既に辟易しているというか……なにもかも、どうでも良くなってるというか。
かといって天使であることを誇示したところで、どうにもならない。みんなの前で天使になったところで、何が変わると言うんだ。
でも、この地上から解き放たれたい……そういう気持ちはあるんだ。
/
光人 「俺はずっと、自分の居場所というものを探しているんだ」【3周目】
しかしこういうのも中二でいいんだっけ?なんか痛々しい(イタイ子的な意味で)自分探し的なアレな感じがする字面の独白ばっかですが(w
しかしそれはそれである意味正しい。違うんだ、本当の俺はこうじゃないんだ……!なんてまさに中二病的ですが、しかし実際に光人くんは「違う」わけで、その「違い」が自分にすら露見しないように抑えられてきたから気づかないだけであって。だから、彼が「この自分(今の自分)は違う」「今自分がいる場所は本当の自分の居場所じゃない」というのも、ある意味正しい。だって彼は本当に違うのだから。

そもそも、何故彼の母が「ループ」を為したのか。その理由というのも、「居場所」にかかっています。
豊 「あなたに、あなたに何が解るというのですか!あの子は、あの子はもう二度と天へは……生まれた時から天使としての資格はないのです」
豊 「だから、人として生き続けることが、あの子の幸せなのに……」
涼子 「何が幸せか、それを決めるのは天野光人本人だと思うがな」
豊 「いいえ、天使に目覚めたら、その先に待っているのは滅びだけです」
豊 「あなたには解らないでしょうけど、これが、これが私のやり方なのよ……あの子に人として生きてもらうための……」
豊 「どんなに無意味でも、どんなにあなたにとって馬鹿げてるように見えても……これが、これが私の答えなのよ!」
涼子 「人として生きて何になる。いや、もちろん人として生きることに意味がないとは言わぬ。しかし、天野光人は天使だ。人として生きる必要など……」
豊 「違うっ!!」
豊 「あの子は、天使なんかじゃないわ!!はじめから天に帰れない天使なんて……天使なんかじゃない……天使として目覚めれば目覚めるほど、あの子は不幸になる」
光人は確かに天使なのですが、しかし天使としての彼の居場所は何処にもない。天の世界に帰れることもないし行ったこともない。天使の仲間に入れてもらえない。かといって、天使に人間の世界での居場所がそう簡単にある筈がない。先にも書いたように、<他者>。世界は彼を歓待しない、世界は彼を<他者>と視る……もちろん、その先の答え/結果がどうなるかは分からないけれど、少なくとも作中では語られる前に終わってしまった。
では人間としてならどうか。人間として生きていくのなら、居場所があるかもしれない。もちろん人として生きていく中もまた<他者>の嵐の中で生きていくことに近い、けれども、天使として生きていくよりは遥かにマシ。だからこそ、「天使に目覚めたら、その先に待っているのは滅びだけ」。はじめから天に帰れない天使ならば、天使として目覚めれば目覚めるほど、不幸が待っているのは目に見えている。

だからこそ、やり直し、引き伸ばし、調整する――つまり世界を再構築して、ループを幾度も繰り返しているわけです。光人がいかに生きていくか、という道を豊が探る/構築しようとする戦い。ただしそれは、何処まで行っても対処療法でしかない、つまり先延ばしでしかないということは、稲置・豊両方が言及しています……つまり自覚しています。そしてそれは、光人を「生かしていない」ということも、際の台詞を見る限り、豊は自覚的であった……。
それはつまりどういうことかというと、一言でいうと、「居場所がない(居場所じゃない)」ということです。
自分で生きて手に入れたわけでもない、この繰り返しの中で定められた歯車の居所は、光人が「俺の居場所はここじゃない」「何かやることがあるはず」「非日常を望む……何処か連れて行ってくれ」と”願う・望むくらいに”、彼自身が思う彼の居場所ではない。だって自分で歩いて辿り着いた場所ではなく、改変された歴史により半ば唐突にいきなり走っているレールの上なのですから。だから、居場所を望むのはある意味当然であり、そして、人間と天使の狭間の中苦しむことが分かっていてもそこに辿り着くこともまた当然である。
どちらが正しいかというより、そうあるべきとでも言う感じでしょうか。稲置先輩が言うとおり、光人は天使ではない。――もちろん、十全を持って「人間である」とは言いがたいけれども。滅びが約束されている存在であるという点では、同じである。

『翼をください』ってタイトルは、エピローグまで進んだ後にも当てはまる、というか、そこが一番しっくりくる感じでもあったりしますよねぇ。
この地上にいる限り、俺たち天使はある意味封印されているようなものだ。
力を思うように使えない。
大空を翔ることも出来ない。
人と関わりを持つ限り……!
やすら 「でも、いつか……」
やすらが再び、空を仰ぎ見た。
やすら 「大空を自由に飛べる日が……来るわよね?」
俺も天を見上げた。
光人 「その時が来るまで……俺たちは戦い続けるか、封印され続けなければ、いけないのかもしれない」
天に辿り着ける翼はない。地を飛べる翼もまたない。見たこともなく行ったこともない故郷――天には昇れず。見たことも行ったこともあるどころか今住んでる故郷――地では、飛ぶことは叶わない。敵わない。地に住んでいる限り、封印され続けている。
しかし。
今まで散々、「(物語が)ここで終わってしまうのかー」みたいな言及をしてきましたが、逆に、ここで終わってしまうということを鑑みると。これは、ここから居場所を抱いていく「はじまり」までのお話と読み解くこともできるでしょう。はじめるまでが最も大変で、困難で、難しいものである、なんて様々なことに共通する格言じゃないですか。
視たこともない幻の故郷たる天は存在せず。母の守りのうちの偽りの居場所も存在せず。ここからは一人で――あるいはみんなで、自らの居場所を築いていかなければならない。エピローグで、天使みんなが光人の家で暮らしているのは、そういう意味だと読みこともできるでしょう。天使たちみんなで暮らしている光人の家は、今の時代の天使たち――つまり彼らにとっての「居場所」である。それは空にあると思われている、本当に存在しているのかどうかも定かではない、行ったこともない幻の故郷とは違い、ここにあり、彼らが今現在暮らす、故郷。これから先に故郷となっていく(居)場所。
<母>のカゴから抜け出し、<他者>に晒される現実の中で、真の居場所をこれから見つけていく、という「はじまり」に至るまでの物語。それは僕らの現実と何ら遜色ないのだけど、それ故に、深く突き刺さるところでもある。

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-85.html

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