なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO 

このページの記事目次 (カテゴリー: まじこい

← 前のページ  

スポンサーサイト

   ↑  --/--/-- (--)  カテゴリー: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/?overture" target="_new

--/--/-- | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |

真剣で私に恋しなさい ワン子シナリオ雑感

   ↑  2009/09/12 (土)  カテゴリー: まじこい
ワン子もクリア。
つか、ワン子さんウルトラミラクル可愛いんですけどどうしたらいいですか?
ワン子の前ではボクの心はスグルくん状態です。三次元はウソだ、二次元こそホンモノだっ!

あとねえ、なんか準(S組のハゲ)みてると、ロリコンって逆にアリなんじゃないかって気がしてくるw いやだってアイツすっげー楽しそうじゃん。人生楽しんでるじゃん。ボクらが「どうでもいい」と気にも留めない、そもそも視界にも入らない小さなものを見つけて、それを眺めて、愛でて、幸せに浸る……うーんなんかこのハゲ、人生楽しんでるぜ。もちろん、三次元のロリは無しだがね。二次元こそ本懐! つまりハゲ+スグルくん、これはもう最強の組み合わせなのではないだろうか。やべえよ、アタイ、世界が金色に輝いて見える方程式見つけちったよ……!


えっと、以下ネタバレね。

真剣で私に恋しなさい!  初回版 (予約キャンペーン特典付き)真剣で私に恋しなさい! 初回版 (予約キャンペーン特典付き)
(2009/08/28)
Windows

商品詳細を見る


勇往邁進。
夢・目標にとにかく突き進む。それはめっちゃ高いところ――遥かかなたの山の頂なのだけれど、どれほどの努力と時間が必要かもわからないほどなのだけれど、それでも。
そして、さらに。一度、何処まで時間と努力を重ねてもお前では届くことないと謂われても、それでも尚。
普通ではあきらめてるところなんかでは、全然。凄いやつでもあきらめてしまうようなところでも、まだまだ全然。
夢・目標にとにかく突き進む。
勇往邁進――それはクリスとの決闘のときに口にしていた、川神魂と同じ。無明の闇も、困難も、己の心と魂で乗り越えていく。

これはホントにカッコイイ。そりゃみんな惚れまくりますよ。だって格好良すぎるもん。「人が命を振り絞って何かに打ち込むって綺麗なんだな」と大和くんは述べていたけど、ホントそう。素敵すぎる。


そもそも、どうして一子は、こんなに格闘の道を頑張ろうとしていたのか。

一子「お姉様みたいに強くなりたいもん」
百代「そんなに私がいいのか?」
一子「うんっ!!」
一子「なんかね、お姉様、星みたいに輝いてんのっ!」
一子「アタシも、輝きたいわ!」
一子「そのためには頑張らないと!」



昔、年がそうも違わない女の子の活躍を見た。
圧倒的な武術による場の殲滅。
それは、神々しく美しいものだった。
川神百代。
いつか自分がああして輝くためにも……!
一子「練習するしかないッ!!!」



一子「お願いしますっ! 本格的に鍛えて下さいっ!」
鉄心「ウチの養女になったからといって武道に特化する事はないんじゃぞい」
一子「はいっ、それだけの理由じゃありません」
一子「アタシも強くなって輝きたいです!」
一子「師範代になってお姉様の補佐をしたいです!」


幾度も示されてるように「輝くため」。――そもそもは、百代が、輝いてみえた。だから、百代に匹敵するほどになれば(「お姉様のライバルになる」とよく云っていたように)、自分もその領域、輝く領域に立てる。そして、その輝く百代も、いつまでも輝いていてほしい――サポートする、ということですね。
強くあるものは、輝いている。一子の憧れの対象でもある(はじめて百代の名前を聞いた時の反応が、「あ、聞いた事ある、凄く強いって」「アタシも強くなりたいな……」 ――そして実際に見たその姿は、「輝いていた」)。

それを目指す道として、一子は「武道」「師範代」を選び、そして、それには敗れたワケですが。
それは、別に、それだけのことでしかない。「輝く」道というのは一つではないのです。他でも輝くことはできる。百代の補佐はできる。百代を輝かせ続けることもできる。強くなることもできる。武道だけがその道ではない。

一子「アタシって……何の才能があるのかなとか、どこから来たんだろう、とか……何のためにいきているのかな、とか……」


一子は何もない。「ルーツ」と呼べる無条件の拠り所がない。と思っていた。
「ルーツ」は遡及的に構築される。親がプロ野球選手だから子も野球の才能がある、親が武道家だから子も武道の才能がある、というのは、遡及的に構築されたもの(+確率論)でしかない。たまたま才能あった彼の親が”それ”だったから、遡及的に(あとからそうだと分かったのにまるで最初からそうだったかのように)決まっているに過ぎない。なぜなら、一般人よりそうなる確率が高いというだけで、全てがそうではないから。百代の両親がそれを実証しているのでしょう。
だから「ルーツ」と呼べるものは、遡及的に構築される。たとえば一子は、まるで「犬」だけれど、犬の性質を持っているかのようだけど、ある意味ルーツが犬かのようだけれど、これだって、別に最初から生まれたときからそうだったわけではないでしょう。作中で示されてますね、そのように”しつけた”。最初から犬笛吹けば飛んできたワケではなく、そのように仕込んだからこそ、犬笛吹けば飛んでくるようになった。翻せば、そういう教育を行わなかったら、全く別の一子になっていたかもしれなくて、そこでは、「犬」的なものは見い出せなかったかもしれないということです。

「ルーツ」などというものは、おぼろげで、”本当に実体的に在る”というワケじゃあない。それは後から見い出されるものである。

一子「アタシは……何者かなんて……決まってるよね」
一子「川神……一子」
百代「そうだ。川神院の娘だぞ」


だから彼女が何者かなんてルーツは、証明書類や証拠資料や署名などには残されていない。親が何だろうが、由縁が何だろうが、今ここに立つ自分が何者であり、そして誰のお陰でここにいるか――一子からすれば、あの、薙刀を振るった時の感謝の相手、エピローグで向けた感謝の相手――それが、遡及的に導かれる彼女の「ルーツ」。

FC2スレッドテーマ : エロゲー (ジャンル : ゲーム

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-26.html

2009/09/12 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |

真剣で私に恋しなさい まゆっちシナリオ

   ↑  2009/09/11 (金)  カテゴリー: まじこい
まゆっちシナリオもおわり~。

以下ネタバレです。

真剣で私に恋しなさい!  初回版 (予約キャンペーン特典付き)真剣で私に恋しなさい! 初回版 (予約キャンペーン特典付き)
(2009/08/28)
Windows

商品詳細を見る


■ライナスの毛布は失われず、我が身に宿る――
つか、ここまで京シナリオとダッシュシナリオをクリアしたのですが、その二人も↑のような感じですね。


――小学生時代は。
地元での名家として、黛十一段の娘として、畏怖の存在だった。
しかも、卓越した動きで常人を越える動きを楽々としてみせる。
血は受け継いでいる。余計に人々は畏れた。
――
気が付けば、私は品行方正で、成績優秀で。
でもそのとき、周囲を見たら自分は一人だった。
――
ああ、私は友達とかいない子供時代を代償に、この力を得たんだなと思った。
凄く嬉しかったけど……凄く誇らしいけれど。
どこか寂しかった。
強いのは良いことだがそれには孤独がつきまとう。
少し、自分の力を抑えることにした。
友達を作るためにも。



そして「友達を作るために抑えていたソレ」を見ても、受け入れてくれる友達。作るためではなく、もう既になっているのだから。


majikoi02.jpg
majikoi03.jpg
まゆっちにおける「日本刀」と「松風」は何なのか?
まゆっちにおける「ライナスの毛布」とでも呼べるものなのか?

ライナスの毛布――移行対象。
それは幼児期には「内」から「外」への円滑な移行と適切(あるいは過剰)な防御をする役目を果たす。成長した後でも、防御機構、安定機構として役立って(あるいは・それゆえに役立たずに)いるでしょう。
さて、細かくから大まかにまで様々に説明が付けられ応用も可能なこの用語ですが(というか心理学・精神分析の用語はそういうの多いですが)、この場合は、「私の内」と「私の外」との境界という、私たちが普段他人と触れあい生活している空間ですね、それを、「私の内」側にシフトさせることができる対象と申し上げましょうか。
私の領域外=私の外と接する際に、「私」の領域にあるものをもってそれを緩衝している。……という第一義からもう少しつっこんで、ここでは「本来現実にありえないけれど彼女にとってはありえるもの(日本刀)」を現実に持ち込む行為、そして「本来現実にはそうではない(ストラップは喋らない)ものを彼女にとってはそうである(ストラップだけど喋る)」を現実に持ち込む行為。イマジネールに頼る術。

日本刀と松風。それらは、まゆっちにとっては特別な意味を持つ……けれども、現実世界では、他の人には、まゆっちと同じ様な意味は決して持ちえません。
日本刀は手放せられないし帯刀許可も得ているけど――つまりまゆっちにとっては普通でもあるけれど、”普通の人”から見たら、それは危険で意味不明で異常な行為。
松風はお話し相手になってくれて大事なひとり(人格)だけれど――まゆっちにとってはそうであるけど、”普通の人”からすれば、異常で奇妙で不可解な行為。

ただし、まゆっちには普通であった。
しかし、普通の人には異常であった。
ゆえに、それを手放す。
手放すといっても、捨てるのでも何でもなく、自身の内へと手放す。


まずは日本刀からいきましょう。これは移行対象的な役割というより、自己規律的なものでもある。あるいは通過儀礼か。

由紀江「これは私の魂でもあるんです」
百代「手放せとは言わないさ」
百代「ただ年がら年中刀抱えているのは、やめておけ」
百代「刀は魂。素晴らしい言葉ではあるが所詮喩え」
百代「真の魂は、体の中に宿っている熱いものだ」


刀は魂。それは剣術の家に生まれた結果植えつけられた価値観でもあり、そしてそれゆえに、未だ物理的に所持せざるを得ないまゆっちは未熟だということを表している。
それでも、刀を持っていない立ち絵(絵からの判断しかしようがありませんが)も結構あります――というか、夏服私服は基本的に刀を持っていませんし、そして何より、実際に抜くことが殆ど無い。格闘大会と百代戦のみであり、つまり戦いに必要という意味での抜刀のみであり、魂として、自己の心の補強としての抜刀は一度たりとて無い。百代の言うとおり、真の魂は、体の内に宿っている。だから最後の武蔵小杉とのバトルは素手によるものになったのでしょう。
もし日本刀所持からの完全な移行ができるとしたら、それは、まゆっちが揺るがなく成長し尽し、親から完全に離れられた時でしょう。それを問うのは、学生時分の、まだ成長過程の今ではなく。だからこそ、今はまだ、この程度の離れで十分。


そして松風。

由紀江「孤独な私から生み出た、もう一人の私」
由紀江「言いたいことを言ってもらっていた、私の分身」
由紀江「だから、どこかに行く……のではなく」
由紀江「私の中にはいってください」
由紀江「…それもまた私の一部として」
由紀江「一緒にやっていきましょう!」
――
松風が、去っていくなんて悲しい終わりじゃなく。
自分として受け入れた。
由紀江「……よし!」
現実を見つけなおす心が、現実と戦う力を生む。
由紀江「戦います! 現実と!!」


友達が出来ず寂しいまゆっちに、まゆっちが無意識で作り出した、まゆっちにだけ見える・居る友達。
それは、成長した女の子がぬいぐるみに話しかけるのをやめるように、いつか役目を終える。私にしかいなくて現実にはいないものは、他人にとってはやっぱりいないもので、私が無意識でも勝手に作り出したものは、やっぱり私が作り出したものでしかないのだから。
それは「一人」だった――友達がいなかったまゆっちを、守ってきたけれど。その役目は、友達ができれば、まゆっちが一人で歩いていけるようになれば、当然、終わる。
でも、消えるワケじゃない。
たとえば、抜刀せずとも、帯刀せずとも、心にいつも刀が、魂としてあるように。私が作り出した松風も、私自身に還っていく。それはたとえば、遠く離れてても、”ここ”にいなくても(京シナリオ参照)、仲間が、風間ファミリーが、心の中にいて、ずっと一緒なのと同じように。
現実は現実に。想像は想像に。でも、想像の領域はなかったことになるのではなく、体の中にあって見えない魂のように、心の中にあり続けるのだ。


FC2スレッドテーマ : エロゲー (ジャンル : ゲーム

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-25.html

2009/09/11 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |

真剣で私に恋しなさい 京シナリオ

   ↑  2009/09/10 (木)  カテゴリー: まじこい
フフフ、楽しいですよ―――!

とりあえず京シナリオクリア。
うーんと、特に語ることがないくらいに、シナリオ内で全てが語られている。君の幻想に終わりを告げなくてはならない。さよならミヤコガルド。世界の全てに、敵対”しない”こともできるのだ――って話。たぶん。

以下ネタバレですよ。

真剣で私に恋しなさい!  初回版 (予約キャンペーン特典付き)真剣で私に恋しなさい! 初回版 (予約キャンペーン特典付き)
(2009/08/28)
Windows

商品詳細を見る



京「私には風間ファミリーが全て…」
京「他に何もいらない」


京の境遇と、その歩みについて、ずっと語られてきました。親の所為でいじめられてきたこと、故にずっと孤独だったこと、そもそも、その親からも愛されていなかったこと。 京の母「聞いてあげないわ。なぜならあなたが嫌いだから」 京の父「京…お前もあの女の血をひいてああなるのかな」 京の父「もう、私もお前を愛せない」
居場所など何処にもなく。承認など何処にもなく。愛されることも、何処にもなく。
ゆえに。居場所である”ここ”、承認される”ここ”、愛される”ここ”を、何よりも大事にする。――そして頼る。依存する。

”ここ”というのは、風間ファミリー、あるいは大和。どちらでもいいし、何処でもいい。とにかく、自分を承認して自分を愛してくれる、自分の居場所たるところが必要だった。だから「依存」と突っ込まれるほどに頼ってしまう。
外は敵でしかなく。私は、そこでは、排除される対象でしかない。
なぜなら、京は、ずっとそういう道を歩んできたのだから。京はずっと、”ここ”の外では、排斥されてきたのだから。

京「…これは作り話だけどある仲良し集団がいてね」
京「その人達はもう、平然と人を害する悪党集団なんだけど仲間がやられると凄く怒るの」
京「どうして、人を害せるの? って質問に自分達と関係ないから害せると返すの…」
京「別に人を害したいとか、そんなんじゃなくて」
京「極端な話、そういう集団に憧れるの」
京「自分達以外、一切無関心みたいな、ね」


この言葉は裏返し。これは、まんま京がやられてきたことであるからこそ、これはつまり京が思う世界の(他人の)形でもある。他者は彼らの更なる他者を理由もなく排斥する。そういうふうにできている。なぜなら、今まで生きてきて私が触れてきた他者が、そうだったから――。

これが京が思う世界の(他人の)形。外は荒波以上に荒波である。容赦なく慈悲もなく、そして何より我々と違うという以上の理由もなく、他者は排斥される。彼女が過ごしてきた世界、見てきた世界がそうだから。だから逆に、彼女は風間ファミリーでも同じようなベクトルを取る。ファミリーの外には完全に無関心で、害をなすのならば容赦なく排斥する。

しかし、それでは、ダメなのだ。
残念ながら、世界はどこまでも続く。人生は何気にかなり長く続く。いつまでも、彼女が見つけた”ここ”にはいられないかもしれないし、そもそも、彼女が見つけた”ここ”は、いつまでもそれと同じ姿を保てない。皆が先に進んでいく。”ここ”は永久不変ではないし、”皆”も永久不変ではない。だから、京もまた、永久不変ではないのだ。変わることもできる。そして当然、彼女が敵だと、私の外部だと、私に害をなすものだと認めた”世界(他人)”もまた、永久不変ではない――変わっていくし、変えることもできる / 彼女にとっての世界(他人)の認識もまた、変えることができるのだ。

陰口を言われることもある。イヤなこともある。無条件に歓迎されるワケではない。むしろ嫌がられるかもしれない。それでも、やっていけるはずだ。
もう京は、真の意味での一人ではないのだから。彼女が見つけた”ここ”を、何処まででも広げていくことができるのだから。京「振り返れば、私には友達がいる」 一緒に謝りに行ってくれるわけではない。 行くのは自分一人、孤独な戦いだ。 それでも、存在が心強かった。

本当に一人ではなく、本当に居場所がないわけではない。何処に行っても、ここにはいない、仲間が常にいてくれるのだから――もう場所は関係ない。秘密基地も、聖域も、場所としては必要ない。

「光灯る街に背を向け、我が歩むは果てなき荒野」
「奇跡も無く標も無く、ただ夜が広がるのみ」
「揺るぎなき意思を糧として、闇の旅を進んでいく」
百代「これが川神魂だ」
百代「辛いときは口にするがいい」
百代「同じ旅を行く仲間がいる。力が出るぞ」


京にとって、「外は敵」でしかなかったが――実際に彼女はそういう道を歩んできたから、そういう認識をしていたのだが、しかし本当にそうなのだろうか? それ以外の道も、可能性もあるんじゃないだろうか? だってそもそもは、風間ファミリーだって、彼女の「外」だったはずだ。クリスが云うように、「いじめらっことそれを助けた相手」という関係では”ない”のだろう、ならばそれは「外」であったはずだ。それが今は、外ではなくなっている。ならば、そういう世界(他者)もあるんじゃないだろうか?
その先は、慣れ親しんでいないその空間は、闇でしかないけれど。そこに進んでいくこともできる。”ここ”にない居場所と共に――

majiko01.jpg

京「私にも、川神魂がある」

FC2スレッドテーマ : エロゲー (ジャンル : ゲーム

(記事編集) http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-24.html

2009/09/10 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。